頭からaudioをWindowsムービーメーカーで分割しながら校正、自身の記憶違いの訂正をしていった。その11まで。ブロガーは記事を更新しても、日付が更新されたり、その記録が残らないみたいなので、少なくとも日付だけは追記した。
ブログの記事は、基本的にはテキストを元に訳したものなので、audioと違う部分があるのだと思う。すでに校正済みの記事もあった。また、別に提出用のファイルを作っていたので、最終的な完成稿をそちらで作るつもりもあって、ブログの方はリアルタイムな記録を残す趣旨でもあった。(それはグーグルのドキュメントで作っている。)
しかし、ブログの方を基本にすると、どのパソコンからも閲覧できるし、ずいぶん作業の仕方が変わってくる。個別の記事を更新したら、まとめの記事にも変更箇所を反映させる余白が生じる。その作業自体が、テクスト理解を深め、読み書き聞く作業を通してテクストが血肉とさせる。
完成稿は最後の最後に持っていくことになる。
長い中断の意味も、訳出を急ぎすぎた為だとわかる。単語の書き出しも、必要なところだけ。それだけでは、十分ではなかったのだ。繰り返し吟味することで、読むに耐える日本語に仕上がっていく。自分自身の吟味するプロセスを通過したものが、他者の吟味のプロセスにも耐えるのです。
新渡戸稲造は一日3語主義といったそうです。英語の達人を目指すのに、現代の英語教育者の斎藤兆史先生は、少なくとも6語と言っています。どちらにしろ少なく思えますが、単語を書き出す作業は、難儀で、手が疲れます。斎藤さんが「これが正しい!英語学習法」で薦めている辞書の利用法に従うなら、一日6語書き出すと、手が痛くなって、翌朝に持ち越す心配さえある量だと思います。
ほかにすることのたくさんある社会人なら尚更、学生さんでさえ、英単語を書き出すためにそれほど時間を費やすことができるわけではないでしょう。これは、受験のための短期集中的な勉強ではなく、生涯にわたる修練を目指した単語数だと思います。そして一日3語、あるいは6語を、(終わりなく)継続的に覚えていくことは、もっと別の努力のモジュール(小さい尺度)を作り出すように思います。
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