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2009年5月25日月曜日

フォーカシング:身体は内側から語る 24

And so, as you will see in the two demonstrations that I bring you, a person will say . . . in Afghanistan language, a person will say, "Oh, I'm uncomfortable. I'm angry. I think I'm furious. I'm about to go out and kill people. But I think I have a 'guest.' Oh, I think I have a 'guest.'" And instead of rushing out with the guns, which he's already gotten, he puts those down and he sits down and he says, "I think I have a 'guest.'" He[Any] goes, or she goes, to a place that, with a little focusing training, the person has learned.

そしてだから、私があなた方にもたらす二つのデモンストレーション[実地教授、実演]の中であなた方が見るように、ある人は言うでしょう…アフガニスタンの言葉で、ある人はこういうでしょう、「おー、私は不愉快です。私は怒っている。私は激しく憤っていると思う。私はまさに出て行って人を殺そうとしている。しかし、わたしは『客』を持っていると思う。おー、私は『客』を持っていると思う」。そして銃を持って駆け出すかわりに、それを彼はすでに手にしていたのですが、彼はそれらを下におき、腰を下ろし「私は‘客’を待たせていると思う」と言うのです。彼は(あるいは彼女は)、(小さなフォーカシング訓練で)人が学んだある場所へと行きます。

1. So, as you will see in the two demonstrations that I bring you, a person will say... in Afganistan language, a person will say, "Oh, I'm uncomfortable. I'm angry. I think I'm furious. I'm about to go out and kill people. But I think I have a 'guest.'

それで、私があなた方にもたらす二つのデモンストレーション[実地教授、実演]の中であなた方が見るように、ある人は言うでしょう…アフガニスタンの言葉で、ある人はこういうでしょう、「おー、私は不愉快です。私は怒っている私は激しく憤っていると思う。私はまさに出て行って人を殺そうとしている。しかし、わたしは『客』を持っていると思う。おー、私は『客』を持っていると思う」。

2. And instead of rushing out with the guns, which he's already gotten, he puts those down and he sits down and he says "I think I have a 'guest'."

そして銃を持って駆け出すかわりに、それを彼はすでに手にしていたのですが、彼はそれらを下におき、腰を下ろし「私は‘客’を待たせていると思う」と言うのです。

3. He goes, or she goes, to a place that, with a little focusing training, the person has learned.

彼は(あるいは彼女は)、(小さなフォーカシング訓練で)人が学んだある場所へと行きます。

*引用文の中に挿入が二箇所ある。,or she goes,/,with a little focusing,である。
*現在形で、主語を省略せずに話しているのが印象的。訳文には出さなかった。
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*a placeはフォーカシングで扱う内的な場所ではないか。
*ここは早くから味読していた場所。1.の部分のメモが見当たらないので訳しなおすことにする。はじめからそんなメモがなかったとも考えられるけど。
* エンクロージャリンクに音声ファイルのリンクを張ると、記事上で音声ファイルの再生ができる仕組みになっているようだ。ファイルは丸ごとなので、記事が何分何秒に始まるというガイダンスを入れると親切かもしれない。(追記:googleリーダーでフィードを取得した場合、googleリーダー上でには、埋め込みの音声再生装置が表示される。)
*一日くらい和室で作業をしてしまった。ノートパソコンの調子がおかしいため。
*アフガニスタンはどこにあるか:

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*Googleドキュメントで編集。09/05/26(火)
*09/6/05(thu)
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フォーカシング:身体は内側から語る その24

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http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html
http://www.focusing.org/gendlin/audio/gol_2235_audio.html
http://www.focusinglists.org/lecture/gendlin_trauma_2007.mp3
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Gendlin, E.T. (2007, June). Focusing: The body speaks from the inside. [Transcript of talk given at the 18th Annual International Trauma Conference, Boston, MA]. New York: The Focusing Institute.. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html

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ユージン・T・ジェンドリン(2007年,6月).フォーカシング:からだは内側から語る.[ 第18回年次国際トラウマ会議,ボストン,MA において行われた講演の記録]..ニューヨーク:フォーカ シング研究所..http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html
から.

フォーカシング:身体は内側から語る 23

But, there is where a person can say, "Oh!" Once you've learnd the place, then the object changes. It's no longer an emotion in a story. It's the whole damn thing together, the story and what happened and how I am and everything else that ever happened, all of my background and my animal-ness and my tissues, all of that together becomes a "Oh!" Becomes a "that." And then I am different. Then I am somehow changed. I'm in this larger space and I have this "that" here.

しかし、ひとが「おぅ!」ということのできる場所があります。いったんあなたがその場所を覚えたなら、その対象ものは変化します。それは、もはや身の上話の中にある感情ではないのです。 身の上話とか何が起こったかとか私がこのようである次第とかかつて起こった他のあらゆること、私の来歴(バックグラウンド)、私の動物性、私の組織のすべて、それは全部一緒にひどいものなのです。 そのすべてが一緒になってひとつの「オー!」 ひとつの「あれ」になるのです。そしてそのときは異なっている。そのときは何か変えられている。私はこのより大きな空間の中にいて、私はここでこの「あれ」を持っているのです。

1. But, there is where a person can say, "Oh!"
しかし、ひとが「おぅ!」ということのできる場所があります。

2. Once you've learnd the place, then the object changes.
いったんあなたがその場所を覚えたなら、その対象ものは変化します。

3. It's no longer an emotion in a story.
それは、もはやお話しの中にある感情ではないのです。

4. It's the whole damn thing together, the story and what happened and how I am and everything else that ever happened, all of my background and my animal-ness and my tissues.
それは全部一緒にひどいものなのです。身の上話とか何が起こったかとか私がこのようである次第とかかつて起こった他のあらゆること、私の来歴(バックグラウンド)、私の動物性、私の組織のすべて。
*damn adj. a 「《俗》とんでもない,ひどい」、-ness 接尾辞「(複合)形容詞・分詞などにつけて「性質」「状態」などを表す抽象名詞を作る」というから、animalは形容詞。訳は分からないけど。

5. All of that together becomes a "Oh!" Becomes a "that."
そのすべてが一緒になってひとつの「オー!」 ひとつの「あれ」になるのです。

6. And then I am different. Then I am somehow changed.
そしてそのときは異なっている。そのときは何か変えられている。

7. I'm in this larger space and I have this "that" here.
私はこのより大きな空間の中にいて、私はここでこの「あれ」を持っているのです。


*ほぼ訳出が終わったというのが勇み足であることが分かった。それから、行き詰まりの過程で、作業の効率化をすすめていることに気づいた。書き取りを面倒なことに思っている。パソコンに英文を打ち込む作業そのものが、英文の構造を指先を通して理解する手段になっているのを感じる。しかしそれは時と場合による。効率化は神経行動経済学も支持するだろう。合理化は避けられないというより奨励されるものであっていい。ただ、プロセスに注目してみると、合理化の奴隷になることができない自分、行き過ぎた合理化に体が抵抗している(ついていけていないのだ)ということに気づくのです。
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冒頭に英文と和訳を掲載したので不要となったまとめを削除した。Googleドキュメントにコピーして編集したものを、直接このブログに投稿した。順序は入れ替わってしまうがどうだろう。
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Googleドキュメントのリンクはこちら
文書そのものも、ブログに投稿してしまった。
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http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html
http://www.focusing.org/gendlin/audio/gol_2235_audio.html
http://www.focusinglists.org/lecture/gendlin_trauma_2007.mp3
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Gendlin, E.T. (2007, June). Focusing: The body speaks from the inside. [Transcript of talk given at the 18th Annual International Trauma Conference, Boston, MA]. New York: The Focusing Institute.. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html

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ユージン・T・ジェンドリン(2007年,6月).フォーカシング:からだは内側から語る.[ 第18回年次国際トラウマ会議,ボストン,MA において行われた講演の記録]..ニューヨーク:フォーカ シング研究所..http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html
から.

フォーカシング:身体は内側から語る 22

1. Since we are here, there are these capacities of the living things.
我々はここにいるので、生き物のこれらの能力があるのです。
*objectをさまざまに訳しているが、もはや統一する気にもならない。オブジェクトというカタカナでもいいが、それがどのような意味合いの日本語で表現できるかを、その文脈ごとに試みている。「対象」でも「もの」でも「客体」でも、すべてオブジェクトから来ていると、思い浮かべてもらえるとありがたい。それが甘えであるなら、英単語をその都度併記しよう。

2. And there is one more.
そしてもうひとつあります。

3. The body can give itself an object that is in a different space and in a different time.
身体は自身を、違った空間にあり、違った時間にある客体に与えることができる。

4. It can give itself an object of a situation, of a whole situation.
それは自身をある状況のある全体の状況の客体に与えることができるのです。

5. But this happens in a funny, different space.
しかしこれがおかしな、異なる場所に起こるのです。

6. It's a different space where that happens.
それが起こるのはある異なった空間です。

7. A person usually starts with a discomfort that's diffuse.
人は普通拡散したあるいやなこと[不快]と一緒に始めるのです。

8. Like, I'm angry and "Aaargh, gr-r-r-r-r.” 9. You know.
まあ、私は怒っている。そして「あぁぁー、グルrrrr」お分かりでしょう。

10. And it's hard to do anything with that.
それであれと一緒に何かをするのは難しいのです。

*訳したまま置いておくと、何時訳したものか分からなくなる。
*プロセスが大切とは言うが、目的は翻訳なので、最後に日本語にまとめることは考えておいてよい。こまめにまとめておくとか、日本語の校正を随時行うとか。
*スランプとか中断とか言うけど、その間何をやっても進まないというより、何もやっていないというほうが正確なのである。元気なときに筋トレのようにこなしていたメニューが捗らないのが元気がないとき。音読10回、見たいなメニューがしんどい。でも、そんなときの丁寧な音読一回は、何時にもまして重要なんだ。回数が問題なのではない。(回数も大事ではある)その質に目を向ける。とにかく行動する。そのときの一歩が、素読(そどく)であり、音読であり、訳読であり、書き取りであると思う。
*まとめ:22.我々はここにいるから、生き物のこれらの能力があるのです。そしてもうひとつあります。身体は自身を、違った空間にあり、違った時間にある客体に与えることができる。それは自身をある状況のある全体の状況の客体に与えることができるのです。しかしこれがおかしな、違った[異なった]場所に起こるのです。それが起こるのはある違った[異なる]空間です。人は普通拡散したあるいやなこと[不快]と一緒に始めるのです。まあ、私は怒っている。そして「あぁぁー、グルrrrr」お分かりでしょう。それであれと一緒に何かをするのは難しいのです。23.しかし、ひとが「おぅ!」ということのできる場所があります。いったんあなたがその場所を覚えたなら、その対象は変化します。それは、もはやお話しの中にある感情ではないのです。

フォーカシング:身体は内側から語る 22


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http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html
http://www.focusing.org/gendlin/audio/gol_2235_audio.html
http://www.focusinglists.org/lecture/gendlin_trauma_2007.mp3
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Gendlin, E.T. (2007, June). Focusing: The body speaks from the inside. [Transcript of talk given at the 18th Annual International Trauma Conference, Boston, MA]. New York: The Focusing Institute.. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html

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ユージン・T・ジェンドリン(2007年,6月).フォーカシング:からだは内側から語る.[ 第18回年次国際トラウマ会議,ボストン,MA において行われた講演の記録]..ニューヨーク:フォーカ シング研究所..http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html
から.

2009年5月23日土曜日

翻訳日記6


この日記を書き始めたのは日曜の深夜。09/05/25

更新が滞っているが、訳は進んでいて、対訳がほぼ完了しました。ただ、打ち込むのが億劫になってしまい、どうしようかなと思っております。

翻訳は日本語をまとめたワードファイルで送る決まりなので、日本語を抽出して訳文の検討などを行うのですが、いくつか訳し直した箇所もあり、どれが決定版なのかわからない状態です。

今日は転寝をしていたので、まだ起きています。
仕切り直しをして、少しずつ作業を再開したいと思います。
本当は、眠れないので訳文を打ち込む作業しようかなと思ってパソコンを開きました。

下の写真は、訳したり音読するたびにマーカーや書き込みが増えていくテクストです。テクストをWriterに読み込んで印刷しました。ウェブをそのまま印刷するより文字が読みやすいからです。

2009年5月22日金曜日

翻訳日記5の2

びくびくしながらブログを公開にしたが、思ったような反応もなく(何かインタラクティブ;相互作用的なものを期待していたのだが)、非公開で書いているのとあまり変わらない。しかし、公開には非公開にはない効果はある。インターネットに、開いていること。

不特定多数の人が目にしてくれるような(ここは逆説的な表現であるが)ブログではないにしても、検索して、訪問してくれる可能性がある空間で書き続けること。

私は対人関係が得意ではないし、メールのやり取りもどちらかというと苦手である。だから、自分本位に記事をpublishでき、そしてアナライザー(解析装置)などから、間接的にブログの訪問者と対話をする、ということを別のブログでも続けてきた。

下手な和訳だけではなく日記まで書き出して、そして読む人のことをそこまで考えているわけではない文章が、人の目にどのように映るのかと初めて自分を離れたところから見る視点を持つ。

こうして、プロフィールは公開していないにもかかわらず、(いい意味でも悪い意味でも)人柄の滲み出る文章を打ち込みながら、自己がどのように変容していくのかを見守ることをしていきます。

皆様の人生にも、そのような肯定的な変化を促進するものがありますように。

(それは、小さな一歩から、始まるはずです。)

追記:相互作用は、インターネットを介して訪問する皆様とのやり取りを言うのみならず、自分自身とのやり取りのことも言うはずだとこの記事を読み直して気づきました。

翻訳日記5


昨日、決めた一段落を訳すも、アップロードはしなかった。訳した勢いで書いてしまうのは、それはそれで意味があると思ったりする。翌朝書き込むのは少し面倒でもあります。
写真は、訳出した紙片、TFI翻訳ノート(単語帳)、愛用のシャープペンシル。このシャープペンシルは、ゴムのところが変質してきているのか、握り具合が変わってきて悲しい。新しい文房具との出会いもまたあることでしょう。

2009年5月20日水曜日

翻訳日記3

昨日も、音読をしたが、暗誦のプロセスになかなか入れない。

しかし、繰り返しで感覚は(遅かれ早かれ)取り戻せる(だろうことはわかっている)のであせることはないと思う。そんなことをずっと繰り返してきているのだ。

この訳出は、暗誦しながら進めていたが、訳出だけを急ぎ(途中から勝手に進んでしまい)、その後、長い中断に入った。

英文を丁寧に読むことで、日本語は「生成する」。翻訳のプロセス自体を、フォーカシングが助ける。私はフォーカシングができているのだろうか、英文を読めているのだろうか、と確かめたくなるが、それは、自分の体験過程が答えてくれるのだと、あるブログエントリが教えてくれた。


自分を信頼すること。

翻訳という生産(いわばプロセスの結果絶えず生み出されるもの)を最終目標にせず(プロセスで生み出されるものなのだから)、英文を読み(音読、素読)、調べ(辞書、単語・文法)、理解し(構文)、覚える(暗誦、暗写、短文から長文へ)過程に集中していくことで、産出される(結果)の出来不出来、進捗状況にとらわれることによるブレークダウンや、フラストレーションを回避することができる。また、スランプを感じたときは、そのこととワークするのが良いかもしれない。

英文そのものを読むことに集中することの積み重ねが結果を生み出すのです。

追記:その後、落ち着いて暗誦する作業に入りました。

2009年5月18日月曜日

翻訳日記2

頭からaudioをWindowsムービーメーカーで分割しながら校正、自身の記憶違いの訂正をしていった。その11まで。ブロガーは記事を更新しても、日付が更新されたり、その記録が残らないみたいなので、少なくとも日付だけは追記した。
ブログの記事は、基本的にはテキストを元に訳したものなので、audioと違う部分があるのだと思う。すでに校正済みの記事もあった。また、別に提出用のファイルを作っていたので、最終的な完成稿をそちらで作るつもりもあって、ブログの方はリアルタイムな記録を残す趣旨でもあった。(それはグーグルのドキュメントで作っている。)
しかし、ブログの方を基本にすると、どのパソコンからも閲覧できるし、ずいぶん作業の仕方が変わってくる。個別の記事を更新したら、まとめの記事にも変更箇所を反映させる余白が生じる。その作業自体が、テクスト理解を深め、読み書き聞く作業を通してテクストが血肉とさせる。
完成稿は最後の最後に持っていくことになる。
長い中断の意味も、訳出を急ぎすぎた為だとわかる。単語の書き出しも、必要なところだけ。それだけでは、十分ではなかったのだ。繰り返し吟味することで、読むに耐える日本語に仕上がっていく。自分自身の吟味するプロセスを通過したものが、他者の吟味のプロセスにも耐えるのです。
新渡戸稲造は一日3語主義といったそうです。英語の達人を目指すのに、現代の英語教育者の斎藤兆史先生は、少なくとも6語と言っています。どちらにしろ少なく思えますが、単語を書き出す作業は、難儀で、手が疲れます。斎藤さんが「これが正しい!英語学習法」で薦めている辞書の利用法に従うなら、一日6語書き出すと、手が痛くなって、翌朝に持ち越す心配さえある量だと思います。
ほかにすることのたくさんある社会人なら尚更、学生さんでさえ、英単語を書き出すためにそれほど時間を費やすことができるわけではないでしょう。これは、受験のための短期集中的な勉強ではなく、生涯にわたる修練を目指した単語数だと思います。そして一日3語、あるいは6語を、(終わりなく)継続的に覚えていくことは、もっと別の努力のモジュール(小さい尺度)を作り出すように思います。