2009年5月21日木曜日

翻訳日記4

動画の追加に一時間以上かかり、すっかり疲労してしまう。
夕方の投稿は控えるといいのかもしれない。
メモ―(ノート)―ブログ
ノートに訳文を再構成する余裕が中断を防ぎ、質を向上させる。

追記
「フォーカシング:身体は内側から語る17」作業机の写真。

TFI翻訳ノート(単語帳)、和訳を書き付けた紙片、筆記用具など。

2009年5月20日水曜日

フォーカシング:身体は内側から語る その17 ☆

タイトルをドキュメントにリンクした。
--
Well, the tissues developed this extra capacity to have an external environment in which they behave.
ええ、組織はわれわれがそのなかで振舞うところの外部環境を持つ能力を育てます[発達させます]。

And then only come human beings.
そしてそのとき、人間たちがやってくるだけなのです。

And we are completely continuous with that.
そしてわれわれはそれと完全に連続的なのです。

*Just our science of human beings is separate.
ただ人間の科学だけが独立しているのです。

So we study culture and history and all these wonderful things as if they came down from the sky.
それでわれわれは文化や歴史やあらゆるそれらのすばらしい物事を学ぶのです。まるでそれらが空から降りてきたかのように(came down from)。

But obviously they came up from the earth though us, into where we are now.
しかし明らかにそれらはわれわれを通して地上から芽を出し(came up from)、われわれが今いるところへ入るのです。

So the human level of culture and patterns and making and technology, and all that comes as a bodily process.
それで人間の水準の文化や様式、ものづくりや技術、そのすべては身体過程として生まれるのです。
*all thatを理解しかねる。

感想:暗誦プロセスに入ることができないと書いたあとで腰をすえて覚える作業に入った。勢い、次のパラグラフに入ってしまったが、そこでやめた。それ以上は進まなかったのかもしれない。
それから、日課の読売夕刊の英語記事に取り組んだ。余力があるということかな。夕方、この記事を書いているが、パソコンを開くことは考えていなかった。

デスクトップPC(M250V)から。
フォーカシング:身体は内側から語る その16


追記:出典を個別の記事につけることにする。
追記2:動画を追加。最後がどうして切れてしまう。(3回のアップロード毎の秒数の変化)36-39-43。サイズを小さくする毎に秒数が増えている。音声ファイルなので、画像を小さくすれば一発だとおもう。それにしても、100MBまでOKと書いてあるのだが・・・(おそらく400KBにすると丸ごと収まる模様。)



追記2:写真を追加。09/05/21
--
http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html
http://www.focusing.org/gendlin/audio/gol_2235_audio.html
http://www.focusinglists.org/lecture/gendlin_trauma_2007.mp3
--
Gendlin, E.T. (2007, June). Focusing: The body speaks from the inside. [Transcript of talk given at the 18th Annual International Trauma Conference, Boston, MA]. New York: The Focusing Institute.. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html

--
ユージン・T・ジェンドリン(2007年,6月).フォーカシング:からだは内側から語る.[ 第18回年次国際トラウマ会議,ボストン,MA において行われた講演の記録]..ニューヨーク:フォーカ シング研究所..http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html
から.

翻訳日記3

昨日も、音読をしたが、暗誦のプロセスになかなか入れない。

しかし、繰り返しで感覚は(遅かれ早かれ)取り戻せる(だろうことはわかっている)のであせることはないと思う。そんなことをずっと繰り返してきているのだ。

この訳出は、暗誦しながら進めていたが、訳出だけを急ぎ(途中から勝手に進んでしまい)、その後、長い中断に入った。

英文を丁寧に読むことで、日本語は「生成する」。翻訳のプロセス自体を、フォーカシングが助ける。私はフォーカシングができているのだろうか、英文を読めているのだろうか、と確かめたくなるが、それは、自分の体験過程が答えてくれるのだと、あるブログエントリが教えてくれた。


自分を信頼すること。

翻訳という生産(いわばプロセスの結果絶えず生み出されるもの)を最終目標にせず(プロセスで生み出されるものなのだから)、英文を読み(音読、素読)、調べ(辞書、単語・文法)、理解し(構文)、覚える(暗誦、暗写、短文から長文へ)過程に集中していくことで、産出される(結果)の出来不出来、進捗状況にとらわれることによるブレークダウンや、フラストレーションを回避することができる。また、スランプを感じたときは、そのこととワークするのが良いかもしれない。

英文そのものを読むことに集中することの積み重ねが結果を生み出すのです。

追記:その後、落ち着いて暗誦する作業に入りました。

2009年5月18日月曜日

翻訳日記2

頭からaudioをWindowsムービーメーカーで分割しながら校正、自身の記憶違いの訂正をしていった。その11まで。ブロガーは記事を更新しても、日付が更新されたり、その記録が残らないみたいなので、少なくとも日付だけは追記した。
ブログの記事は、基本的にはテキストを元に訳したものなので、audioと違う部分があるのだと思う。すでに校正済みの記事もあった。また、別に提出用のファイルを作っていたので、最終的な完成稿をそちらで作るつもりもあって、ブログの方はリアルタイムな記録を残す趣旨でもあった。(それはグーグルのドキュメントで作っている。)
しかし、ブログの方を基本にすると、どのパソコンからも閲覧できるし、ずいぶん作業の仕方が変わってくる。個別の記事を更新したら、まとめの記事にも変更箇所を反映させる余白が生じる。その作業自体が、テクスト理解を深め、読み書き聞く作業を通してテクストが血肉とさせる。
完成稿は最後の最後に持っていくことになる。
長い中断の意味も、訳出を急ぎすぎた為だとわかる。単語の書き出しも、必要なところだけ。それだけでは、十分ではなかったのだ。繰り返し吟味することで、読むに耐える日本語に仕上がっていく。自分自身の吟味するプロセスを通過したものが、他者の吟味のプロセスにも耐えるのです。
新渡戸稲造は一日3語主義といったそうです。英語の達人を目指すのに、現代の英語教育者の斎藤兆史先生は、少なくとも6語と言っています。どちらにしろ少なく思えますが、単語を書き出す作業は、難儀で、手が疲れます。斎藤さんが「これが正しい!英語学習法」で薦めている辞書の利用法に従うなら、一日6語書き出すと、手が痛くなって、翌朝に持ち越す心配さえある量だと思います。
ほかにすることのたくさんある社会人なら尚更、学生さんでさえ、英単語を書き出すためにそれほど時間を費やすことができるわけではないでしょう。これは、受験のための短期集中的な勉強ではなく、生涯にわたる修練を目指した単語数だと思います。そして一日3語、あるいは6語を、(終わりなく)継続的に覚えていくことは、もっと別の努力のモジュール(小さい尺度)を作り出すように思います。

翻訳日記

一月も更新を中断してしまう。英語学習もかねていたので、訳して英文を再生し(暗記)、暗誦を最終目標に進めていた。翻訳論には関心があるが、専門家でもないので、和訳の質を保証できないところがある。辞書と文法書を駆使、暗誦する過程で疑問点を潰していくので、その過程で日本語は磨かれていくが、それでも自分ではこれで完璧とまでは保障できない。それで「翻訳」の提出が遅れてしまうのである。
翻訳の質を担保しないなら、どれだけ仕事がはかどるだろう。インターネットの英知を借りることで訳文を修正していくことができたら、遅々とした推敲の作業は、加速度的に進んでいくと思う。
中断の過程で、「日本人と英語」(斎藤兆史、研究社)という英語学習本、「ウェブ時代5つの定理」「ウェブ時代を行く」(梅田望夫)などのウェブについて、またカスタネダの「未知の次元」(講談社学術文庫の訳本)を読みながら、カスタネダ自身によるアンソロジーを味読する英文読解の実践などをしていた。
私の夢はオープンソースへの貢献であり、必ずしもボランティアをしたいというのではなく、オープンソースを志向することがヴォランティア(自主的)な行為なのではないかと思う。そういう自分の思考と、翻訳ボランティアという社会的文脈がかみ合わなければ、私は自分によりフィットする文脈へと、シフトしていきたいと思う。
自分の考えを述べていくことには抵抗があるのだが、表現する行為自体が物事を変えていく力があると感じている。良いようにも悪いようにも。そのリスクをも引き受けながら、行動することで吟味する、ということを表現行為を通じて取り組んでみたい。(ブログには、そのような力があると信じている。)

2009年5月16日土曜日

これは、まったく別の行動です。(その25)


"Go to a place" means "get quiet, sit there and go to where the 'guest' would be".

「ある場所へ行け(Go to a place)」は「静かにしろ、そこへ座り、客(ゲスト)がいるだろうところへ行け」を意味します。

This is a distinct action, an internal action.
これは、まったく別の行動です。内面の行動です。

The guest isn't already there, just this difuse "Aa, aa, rr, rr" fury is there.
/構造が見えにくいが、be動詞以前が長い主語になっている。fury「憤激、激怒」、difuse「拡散した;散漫な、言葉数の多い」
客(ゲスト)はすでにそこにいなく、ただこの散漫な「あぁ、あぁ、るr、rr」という憤懣がそこにあるのです。

But, the "guest" isn't there.
しかし、客(ゲスト)はそこにいません。

Or the anxiety is there but the "guest" isn't there.
あるいは不安がそこにはあるが、「客(ゲスト)」はそこにない。

So what’s the "guest"?
いったい「客(ゲスト)」とは何だろう?

Well, the "guest" is a "that".
ええ、「客(ゲスト)」とは「あれ」のことです。

You say, "O-o-oh."
あなたは「お、ぉ、ぉー」といいます。

It takes a few seconds or a minuite or two minutes for this "that" to form,
この「あれ」が形を成すのに数秒か一分、二分かかるのです。

because it isn't there as a "that".
それは「あれ」としてそこにないからです。
’09/5/16

音声ファイル17/18(変動可能性あり)
後ろから二つ目のパラグラフの訳出。

写真は翻訳ノート(単語帳)と和訳、英文を書き付けた紙片。この日、入り口がふさがってしばらく入っていなかった和室に入り、本の整理、しばらく使っていなかった炬燵を6畳間の自室に運び込んだ。それから一月ぶりの和訳に取り掛かる。不思議なものである。

追記;英文を参照して、訳文から再構成した英文を訂正した。一部、原文とは違います。赤字は、訂正した箇所の一部ですが、冠詞など、日本人の苦手としている部分を私も良く間違えることがわかります。

また、理解のあやふやな部分が出てこなかったり、誤っていたりすることがあるので、それを丁寧に辞書で調べることで、ある程度一人で訳出を進めることができます。

追記2;なぜか、最初の一文が抜け落ちていた。古いファイルを探したら、該当箇所の訳を見つけたのでそれに手をくわえた。09/05/18

追記3:このパラグラフはその25。日本語のまとめを以下に掲載。09/05/26 mon

追記4:Googleドキュメントで編集。そのファイルをタイトルにリンクさせることを思いついた。タイトル下のリンクボックスにコピペ。

「ある場所へ行け(Go to a place)」は「静かにしろ、そこへ座り、客がいるだろうところへ行け」を意味します。これは、まったく別の行動です。内面の行動です。客はすでにそこにいなく、ただこの散漫な「あぁ、あぁ、るr、rr」という憤懣がそこにあるのです。しかし、客はそこにいません。あるいは不安がそこにはあるが、「客」はそこにない。いったい「客」とは何だろう?ええ、「客」とは「あれ」のことです。あなたは「お、ぉ、ぉー」といいます。この「あれ」が形を成すのに数秒か一分、二分かかるのです。それは「あれ」としてそこにないからです。

’09/5/16

フォーカシング:身体は内側から語る 25

--
http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html
http://www.focusing.org/gendlin/audio/gol_2235_audio.html
http://www.focusinglists.org/lecture/gendlin_trauma_2007.mp3
--
Gendlin, E.T. (2007, June). Focusing: The body speaks from the inside. [Transcript of talk given at the 18th Annual International Trauma Conference, Boston, MA]. New York: The Focusing Institute.. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html

--
ユージン・T・ジェンドリン(2007年,6月).フォーカシング:からだは内側から語る.[ 第18回年次国際トラウマ会議,ボストン,MA において行われた講演の記録]..ニューヨーク:フォーカ シング研究所..http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html
から.

感情はすでにそこにあります。(その26)

最後のパラグラフ。

対訳:
1-2.
Emotions are already there, you know. You feel them and say "Oh, I'm furious. Yeah, that's right."
感情はすでにそこにあります。ご存知でしょう。あなたはそれらを感じ、「おお、私は憤慨している。イェー、その通りです。」と言います。

But this we call the felt sense. And there's a fair amount of literature about the felt sense.

しかしこれはわれわれがフェルトセンスと呼ぶものです。そしてそのフェルトセンスについてかなり沢山の量の文献があります。

But you can call it anything you want.

しかしあなた方はそれをあなた方が望むいかなるようにも呼ぶことができるのです。
I call it a "that", because when it forms, it's so distinct.

私はそれを「あれ」と呼びます。何故ならそれが姿を現すとき、他とまったく別[明白]であるからです。
form(Vi.)「(ものが)形を成す」

It's in a different space. And time slows down there also.

それは違った空間の中にあります。そして時間はそこでもまた遅くなるのです[速度を落とすのです]。
It's in a different space. It's "Oh, I have that".

それは違った空間の中にあります。それは「おー、私はあれを持っている」です。

<少し長いが終わりまで>
The person is actively looking for it, actively inviting it.

人は積極的にそれを探し、積極的にそれを招いています。
actively (adv.):活動的に、積極的になどがあるが、言葉一つでニュアンスが少し違ってしまう。
Not inviting the anger.

怒りを招くのではなく
That's a different thing.

それは違うことなのです。

Inviting the "guest". Inviting the "that."

「客(ゲスト)」を招くこと。「あれ」を招くこと。
And then it comes.

そしてそれからそれは生じるのです。
The person is still actively interrogating this "that".

人はまだ行動的にこの「あれ」に(系統だった)質問[つまり尋問,審問]をします。
"What are you?"

あなたは何者ですか?
Thereby the person is much larger person, and the space is a much larger space.

それによって、人はずっとより大きな人であり、そして空間はもっとより大きな空間なのです。

And that's what these people are now going to demonstrate.

そしてそれが、これらの人々がいま示そうとしているものなのです。
Thank you.

どうもありがとう。
[Applause.]
[拍手]
[End of audio]
[音声(部分)の終わり]

最後のページ<5/5>の二つのパラグラフを訳出した。先に最後のパラグラフを記事にしてしまう。久しぶりなので、訳語に乱れ、また何時にもまして間違いが増えているかもしれない。また、これは紙片に書いたメモを書き起こしたもので、決して完成稿ではない。

[追記]英文テクストを参照して訳文から再生した英文を推敲した。

追記2:ナンバーはその26。
日本語のまとめ(26):感情はすでにそこにあります。ご存知でしょう。あなたはそれらを感じ、「おお、私は憤慨している。イェー、その通りです。」と言います。しかしこれはわれわれがフェルトセンスと呼ぶものです。そしてそのフェルトセンスに ついてかなり沢山の量の文献があります。しかしあなた方はそれをあなた方が望むいかなるようにも呼ぶことができるのです。私はそれを「あれ」と呼びます。 何故ならそれが姿を現すとき、他とまったく別であるからです。それは違った空間の中にあります。そして時間はそこでもまた遅くなるのです[速度を落とすの です]。それは違った空間の中にあります。それは「おー、私はあれを持っている」です。人は積極的にそれを探し、積極的にそれを招いています。怒りを招くのではなく。それは違うことなのです。「客」を招くこと。「あれ」を招くこと。そしてそれからそれは生じるのです。人はまだ行動的にこの「あれ」に(系統だった)質問[つまり尋問,審問]をします。あなたは何者ですか?それによって、人はずっとより大きな人であり、そして空間はもっとより大きな空間なのです。

そしてそれが、これらの人々がいま示そうとしているものなのです。どうもありがとう。

[拍手]

[音声(部分)の終わり]

フォーカシング:身体は内側から語る その26
--
http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html
http://www.focusing.org/gendlin/audio/gol_2235_audio.html
http://www.focusinglists.org/lecture/gendlin_trauma_2007.mp3
--
Gendlin, E.T. (2007, June). Focusing: The body speaks from the inside. [Transcript of talk given at the 18th Annual International Trauma Conference, Boston, MA]. New York: The Focusing Institute.. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html

--
ユージン・T・ジェンドリン(2007年,6月).フォーカシング:からだは内側から語る.[ 第18回年次国際トラウマ会議,ボストン,MA において行われた講演の記録]..ニューヨーク:フォーカ シング研究所..http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html
から.