2009年11月25日水曜日

谷川俊太郎インタビュー「詩はどこへ行ったのか」

谷川俊太郎氏の詩が「フォーカシング事始め」に引用されていましたが、今日朝日新聞に出ていたインタビュー記事にも、フォーカシングを想起させる表現があったので引用させていただきます。
※ 詩のタイトルが思い出せなかったので書きませんでしたが、この記事によれば「きもち」というタイトルのようです。また、引用というよりその詩にもとフォーカシングを解説するというスタイルであることがわかります。
※2 諸富祥彦先生のフォーカシングの紹介には、「みみをすます」が引用されていると思います。
―詩情を探す、発見するノウハウを教えてもらえませんか。
「詩情は探すものではなくて、突然、襲われるようなものだと思うんです。夕焼けを見て美しいと思う、恋愛してメチャクチャになる、それも詩かもしれません。僕も詩を書くときは、アホみたいに待っているだけです。意味にならないモヤモヤからぽこっとことばが出てくる瞬間を



続いては若者へのメッセージです。
―詩人体質の若者は現代をどう生きたらいいのでしょう。
「まず、『社会内存在』として自立する道を考えることを薦めます。今の詩人は、秩序の外に出て生きることが難しい。そうだなぁ、時々、若者が世界旅行に行って、帰ってきてから急にそれまでとまったく違う仕事をしたりするじゃないですか、あれは、詩情に出会ったのかもしれないな」
好きな詩人に言われると、頷いてしまいます。しかし、社会「内」存在として自立する道というのはどういう意味なのでしょうか。自立することが難しい世の中で、こういうことがよく言えるものだ。できる人はできるし、できない人はできないのではないだろうか。

※その後、たびたび読んでいる不登校新聞でこんな記事を見つけました。 感激。「ふんだくって当然」というのは過激!!
谷川俊太郎さんと工藤直子さんの対談を見つけました。この記事にも関連すると思う話が出たのでリンクします。

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