2009年12月14日月曜日

「ジェンドリン哲学入門」2

第7章でイサドラ・ダンカンの自伝が出てきた(325, 327, 330, 333∼336, 343以降も)。邦訳はおろか原著の掲載もなく、ジェンドリンが引用していたというだけ。この本は、日本で精神世界の翻訳で有名な山川紘矢・亜希子夫妻が(そういえば奥さんが主体になって)訳しているものではないだろうか。



翻訳出版記念パーティ?の二人のスピーチも動画で見たことがある。図書館で偶然見つけた本を、のめりこむようにして読んだ記憶がよみがえってきた。この章を担当された村里先生は、前半の章でカスタネダに言及する(70ページ、注も)など、痒いところに手が届く。本当にツボを突いてくる。

夜中、ホットミルクを飲みながらカントの哲学書を読んでいたというダンカン。今でも、その自伝からわたしはインスパイアされています。



※その後、第8章も読了(09・12・15)。ミンデルにも言及される(ジェンドリンにミンデルという人を知っているかと問いかける話。)など、本当に痒いところに手が届き、本当に感激しました。

※その後、読了。わたしがこの本で時間があればしたかったのは、書き抜きノート、単語ノートの作成などです。複数の人が書いていますが、フェルトセンスと対話しながら、自分の感性どう響きあうかを感じ、味わいながら読むことができた。臨床家は個性が強く、簡単にお互いに解け合ったりしない(とくにその主張の根幹にかかわることについて)ところがあるし、同じ単語の(微妙な)表記の仕方の違い(たとえばimplyingの訳語の表記の本当に微妙な揺らぎ)は、対論を重ねた上でのそれぞれのギリギリの表現の仕方なのだと感じる。(もちろん本人に確認しなければわからないことでもあるけれど。)

2009年12月13日日曜日

キャロライン・ブレイジャー「自己牢獄を超えて」 その2

「自己牢獄を超えて」にたくさん出てくる”Beyond Carl Rogers”という本に引かれて、著者の名前でGoogle検索してみた。動画がYoutubeで見られることはわかっていたけど、ブログからツイッター、Facebookまで出てきて興奮する。

当たり前といえば当たり前で、こうして勉強しようと思えば、(ネット上のリソースに限って言えば)無料で学ぶこともできる。しかし、こうした興奮は冷めて、私は継続してそれを探求していくかというとそうではないだろう。
 
自由だから、とらわれることなく、世界を見てみたい。私はアマチュアとして、いろいろな意味でプロフェッショナルな世界とは距離を置いていたい。何かに詳しいだけなのは専門何とかだ。だから私は抵抗を感じ、未成熟な心のまま、ふわふわと漂うのだろうか。

切ったら血が出る真人、妙好人、いや、「ただの人」として生きていく。

禅僧のように、いまいる場所で、重労働に身をやつし、清浄な食物を摂り、正しい精進をしていく。
(あ、これはいかんかも…。)

**
下書きに入れてあったものを久しぶりに開いてみた。

さて、冒頭に戻って、「Beyond Carl Rogers」はAmazonに表示される順番から言って、売れている本ではないのかも。キャロラインに、フェイスブックで、「あなたの本を翻訳で読みました。私はこのテーマの本を読みたいと思っています。どうもありがとう。」という意味のメッセージを送ってみた。



彼女自身の本では、最新作の"Other-centerd Therapy"があるけど、まだ翻訳が出ていない、夫の本は日本語になっているけれども…というお返事をいただいた。私は「自己牢獄を超えて」を訳した人の写真を見て、坊主になろう、出家しようと思うほど惹きつけられてしまった。



だから、機会があったら「フィーリング・ブッダ」 なども読んでみたい。大須賀先生由来の「東洋の智慧とカウンセリングをつなぐ」というテーマは、ずっと関心を持っていたことのはずなのに、仏教心理学を標榜した本は殆ど読まずに来てしまった。

最近「仏教心理学会」のホームページを見つけてから、上記のテーマへの関心が再燃しつつあるが、いろいろ読んでいる本もあるので、仏教心理学に手を伸ばすのは先延ばしになるだろう。ただ、仏教関係の本はちらほら読みすすめている。今は、チベットの「死者の書」関連を調べている。

「フォーカシング(新しいイントロダクションを伴う再刊行物)」(2007年)



このブログで翻訳ノートを掲載してきた新しいイントロダクションを伴う再刊行物がこれです。画像がまだありません。アマゾンでは、ジェンドリンの著作の中では最下位にあります。まだまだこれからということでしょうか。



もともとのペーパーバック版は、それに引き換え最上位にヒットします。画像も載せられ、カッコいいです。しかも、以下のランキングを見てください。私は心理学にセルフ・ヘルプを求める人間なんだけど、まさに、心理学よりセルフヘルプの本として売れているといったことなんでしょうか。

296位 ─
 洋書 > Health, Mind & Body > Self-Help > Personal Transformation
625位 ─
 洋書 > Religion & Spirituality > New Age
1143位 ─
 洋書 > Health, Mind & Body > Psychology & Counseling

※これからの予定として、ちょっといい加減の嫌いのあった上記の和訳を見直してみるというのもあります。

2009年12月9日水曜日

アン・ワイザー・コーネル「やさしいフォーカシング 自分でできるこころの処方箋」

1999年に出た本だというので、驚いてしまった。

そういえば、池袋のリブロで背表紙を眺めていたこと(そのワン・シーン)を思い出す。それは、だから、そのころの出来事なんだ。よく精神世界とか心理の棚の前で、立ち読みして過ごした。
(浪人していたのでよほどのことがない限り気になる本でも買えなかったなぁ。)

こうして10年経って手元にやってきてくれたことにありがとうといいたいです。そして不思議な感じがする。私がこうして読むまでに、それだけの時間が必要だったのかということ。

 付箋をつけたところをいくつか書き抜いてみたい。

・論理的な考えが登場しているというサインは他にもあります。「と思います」とか「多分」とか「に違いない」といっていることに気づいたら、頭で考えていると思われます。こういう言い回しは、答えがフェルトセンスからきたものではないことを示しています。からだの内側に注意を戻して、もう一度質問するか、あるいは「頭で考えた」答えを、からだの内側に持っていって、「これは納得できるかな」と尋ねてみてもいいですね。…(後略)<81ページから>
「と思います」というのが論理的な考えが登場しているというサインというのが意外に思った(とここでも私自身が「思う」と書いている。)。「思う」という言葉は「感じる」というより「思考(思うという漢字が使われている…)」に近い、というよりそのものなんだとこれを書いていて感じた(お、これは「感じた」だ…)。「多分」も「に違いない」も(後者は断定を避けるよう修正に努めている)私が使いがちな言葉です。

確かに、ゆっくりとしか変化しないこともあるし、辛抱強さが必要だということも事実です。しかし、これら「難しい」クライエントのプロセスが痛ましいほどに変わらないのは、彼らが変化の源となるものに触れていないことが多いからです。彼らは頭で知性化したり分析します。あるいは、感情にとらわれて同じところをぐるぐる回ってばかりいます。(170ページ)

クライエントが自分の感情に触れていないときは、心理治療での動きや変化はなかなか起こりません。フォーカシングは、感情に敏感になるよう促す方法にもなります。今までに述べてきた提案を二・三試してみると、この種の援助が必要な人がわかると思います。感情が何も出てこないような人です。(180ページ)

こうして自分が何気なく付箋を残したままにするところを見ても(基本的には、後で戻ってこれるようにする目印として、読み終わったところに貼ります。)、どんなことを自分が問題と感じているのかわかります。そして、そんなことを取り上げるのには実際にフォーカシングのセッションを受けるのが一番いいのだと感じます。

※ブログを書くときの語尾は、基本的に「思います」になることに気づきました。こうした内容を取り上げた記事なので、せめて今回だけは、「思います」を使うのを遠慮しようと「思いました(ほら、やっぱり)」。

アンのホームページに、この本の原著のイントロダクションのPDFを見つけました。グーグルドキュメントによるプレビュー

2009年12月4日金曜日

私の読書リスト(フォーカシング関係書籍)★

「やさしいフォーカシング」 やさしいフォーカシングと銘打った入門書ですが、原書のタイトルにはそのようなニュアンスはないみたいです。「フォーカシングの力」を紹介するといったら、やっぱり入門書になるのかな。専門書(と言われるもの)を読んでいると、やさしい語り口の入門書が読めなくなることがありましたが、いつでも基本に立ち返ること、基礎を確認できることは大切です。初心忘れるべからず、生涯アマチュアを貫こうと思っているとすれば尚更です。
 ※といっても、読み進んでいくと、この本が単なる入門書ではないことがわかります。いや、入門書であるとはこの本にはどこにも書いていないのかもしれない。フォーカシングの力を、やさしい語り口で解き明かした、コメント欄にも出てくるように、スピリチュアルな自己探求を求めているあらゆる人の要求に応える、従来の心理学のカテゴリーには収まらない本です!(書きすぎたかな?)
 ※「やさしいフォーカシング」で検索すると出てくる秀逸な翻訳記事:フォーカシングはすごい!

「ジェンドリン哲学入門」 これも、何が入門なんだというような分厚さもさることながらハードな内容ですが、よく読むと、何かのイントロダクションだったり、抄訳が挟んであったりするので、そう書いておかなければならないのかもしれません。私が感じるのには、何にでも専門家(先達というと徒然草みたい)はいるものだと言うことです。 ジェンドリンの哲学が好きと言っても、それがどんなレベルのものなのかというのを先生たちに比較して格付けしてしまう自分がいます。

※その後、09・12・10 の時点で、「やさしいフォーカシング」は読了。「ジェンドリン哲学入門」を読み始めましたが、こちらは読み終えるかわかりません。全体で、プロセスモデルの解きほぐしの作業になっているのでしょうか。その入り口のあたりです。(第3章-1)

※「やさしいフォーカシング」原書の画像;

「フォーカシングの力 ―感情的な自己治癒への実践的な導き―」が、(辞書も引かず乱暴に訳しましたが)原題の直訳です。

キャロライン・ブレイジャー「自己牢獄を超えて ―仏教心理学入門―」から

急ぎ足で読み進んできたが、それだけプロセスが停滞したりするという苦しい状態に陥ったりする。この本には、ノートに取ったり、瞑想に使ったりするといいなと思う智慧の言葉が満ち溢れていると思います。

もう終わりかけですが…

多くの人々が、ストレスを軽減し気づきを増すために瞑想をしています。それは大変有益な修行です。それが有益であるために、おこなう活動がかならずしも正規の瞑想である必要はありません。わたしは、瞑想修行をしていない人に対しても、毎日五分静かに座り、心の中をよぎったすべての思考を書き留めるようにという示唆を与えるときがあります。脅迫的な思考パターンに捕らえられる傾向のある人にはこの簡単な作業でも大変有効な練習になります。それは洞察をもたらし、静かに坐るという日々の修行それ自体が心を落ち着ける効果を発揮するのです。335ページ
瞑想の記録って長続きしないものです。中井先生の助言ふうに、「続かないものさ」といってやるのがいいのかもしれません。

怒りについては、本当に心の中を言い当てられているような気がします。
経典の中で述べられている怒りの実例を検討してみると、釈尊が怒りを放棄するように語るときには、たいていの場合、個人的なプライドかあるいはアイデンティティに対する執着に起因するような怒りについてであることがわかります。そういう怒りは、外から自分に加えられた批判に対する強い抵抗を引き起こし、その人が変わることをそれだけ困難にします。怒りや憤りに捕らえられている人は「修正されることを好まない人」として描かれています。多くの経典で、怒りは人に忠告を受け入れがたくさせるものであり、そのせいでスピリチュアルな生活における何らかの進歩を大いに妨げるものとして言及されています。自分の非を認めようとしないこと、あるいは自分が変わることを好まないということは、この種の怒りは自分で自分に火を注いでいるということです。ですからそれは怒りと絶望の有害なサイクルとなってしまうのです。(359ページ)
最後のほうはもうぐうの音も出ない感じです。自己の権利を守るために有益であるといわれる「怒る力」は、同時にそういう側面を持っているのですね。むしろ、そういうのものでしかないといっているのでしょうか?

※本日<2009・12・4>付け朝刊朝日新聞の天声人語に、記事に関連すると思う一節を見つけました。
▼「怒りではなく『平和への祈り』こそが私のテーマだとやっと気づいた」と、のちに語っている。以来、出世作の「仏教伝来」からシルクロードをめぐる作品まで、その活躍に詳しい説明はいるまい
平山郁夫さんの追悼をしているようでした。 「怒りではなく平和への祈りこそ」というのは、それこそ新聞で話題になるあれこれに、応用してほしいテーマではあります。しかし、新聞をにぎわす話題だけではなく、私の日常生活においても、そういう祈りを背景に持ち続けるかどうかで、人生の質というすぐには効果の見えないものだけでなく、いまここでの行動も変えていくのかしら?と思います。

※2 この本を最後まで読んでみようと思ったのは、最終章が最近特に関心を持っている死について書いているように思ったからでした。

※3 著者名でYouTubeを検索すると、インタビューを聞くことができます。(現時点で10件程度)

2009年11月27日金曜日

諸富祥彦「孤独であるためのレッスン」

諸富先生の「孤独であるためのレッスン」にも、フォーカシングが一章を割いて取り上げられています。

と、今書きたいのはそのことではありません。

諸富先生の孤独について書かれた後の著作(より実践的な側面に力を入れた)『「孤独」のちから』はすべて読んだのですが、最初に書かれた(より理論的な側面の強い)こちらのほうは、途中を端折るような読み方をしていました。拾い読みを積み重ねるようにして読んだので、どこが抜けているのかわからなかったのですが、今回フォーカシング関係の記述を見つけて手にとり、未読のところを探して読んでみました。

私は、諸富先生の本を読むと、読むだけではなくてそれを行動に移さざるを得ないような影響を受けます。こういう書き方はおかしくて、私は読んで感じたところを生きている諸側面で実行に移します。それが正しいのかどうかは良くわかりません。批評家の声を聞きだすと、不安になり、すぐに信頼を損ねます。それは、諸富先生に対してでしょうか。それとも、それをいいと感じる自分に対してでしょうか。

私は、フォーカシングを通して(それが正しい理解だとはいえませんが)からだの感覚(というよりフェルトセンス)を信頼すること、信じている自分は正しいということを学びました。それで、諸富先生の本を読んで感じるフェルトセンスは、信じてあげたい、信じていいと思うようになりました。

それは、「孤独」な道のように思います。共感してくれる人はいるかもしれませんが、私に関係付けられている古いしがらみの中では、そうではない人も出てくるし、その中に浸かっている私にとっては、際立って共同体から抜け出していく孤立感、孤独感を深める経験になるのではないでしょうか。それは、(谷川氏のインタビューの言葉を捩って、)社会「外」存在に押し出される経験なのではないかと思います。

私は、「生き方」の問題に取り組んでいるのだと思います。

信と不信を揺れ動き、行ったり来たりしながら、私は一筋の道を見出そうとします。

--

(この記事でも本から借りてきた言葉を使いましたが)フォーカシングに関する記述には、責任が持てません。公式な見解については専門家の著述などを参照してください。

2009年11月25日水曜日

谷川俊太郎インタビュー「詩はどこへ行ったのか」

谷川俊太郎氏の詩が「フォーカシング事始め」に引用されていましたが、今日朝日新聞に出ていたインタビュー記事にも、フォーカシングを想起させる表現があったので引用させていただきます。
※ 詩のタイトルが思い出せなかったので書きませんでしたが、この記事によれば「きもち」というタイトルのようです。また、引用というよりその詩にもとフォーカシングを解説するというスタイルであることがわかります。
※2 諸富祥彦先生のフォーカシングの紹介には、「みみをすます」が引用されていると思います。
―詩情を探す、発見するノウハウを教えてもらえませんか。
「詩情は探すものではなくて、突然、襲われるようなものだと思うんです。夕焼けを見て美しいと思う、恋愛してメチャクチャになる、それも詩かもしれません。僕も詩を書くときは、アホみたいに待っているだけです。意味にならないモヤモヤからぽこっとことばが出てくる瞬間を



続いては若者へのメッセージです。
―詩人体質の若者は現代をどう生きたらいいのでしょう。
「まず、『社会内存在』として自立する道を考えることを薦めます。今の詩人は、秩序の外に出て生きることが難しい。そうだなぁ、時々、若者が世界旅行に行って、帰ってきてから急にそれまでとまったく違う仕事をしたりするじゃないですか、あれは、詩情に出会ったのかもしれないな」
好きな詩人に言われると、頷いてしまいます。しかし、社会「内」存在として自立する道というのはどういう意味なのでしょうか。自立することが難しい世の中で、こういうことがよく言えるものだ。できる人はできるし、できない人はできないのではないだろうか。

※その後、たびたび読んでいる不登校新聞でこんな記事を見つけました。 感激。「ふんだくって当然」というのは過激!!
谷川俊太郎さんと工藤直子さんの対談を見つけました。この記事にも関連すると思う話が出たのでリンクします。

2009年11月21日土曜日

夢とフォーカシング(こういちろうの心理学ノート)

こういちろうの心理学ノート

※フォーカシング入門について書いた前記事に引き続いて

Firefoxで範囲を選択して右クリック、次へ送る―Gmail―テキスト形式(書式がプレーンになる。)―全て印刷する(ここで一応範囲を選択しなおす):こんな作業をすると、両面印刷で(本来なら2~3枚のところ)表裏一枚に収まりました(だからどうした―紙の節約になります)。

※ちなみに、この記事はFirefoxでページを右クリック、「次へ送る―Blogger」で作成されています。

フォーカシング入門の第6回に位置づけられています。

※その日のうちに読み終わりました。7・8も同じように印刷します。(8が短いこともあり、これは一緒にして編集・印刷するつもりです。)

※フォーカシング入門7・8を、一枚2面に収めるのに改行を削除してしまいました。結局、この「フォーカシング入門」は、(ジェンドリンの)「夢とフォーカシング」に引き続いて「フォーカシング」を読み進むのに付き合ってくれ、訳文の指摘をするなどして(著作の)本文を読む際の注意を喚起する役割を果たしてくれたようなのでした。きっと、ブログを検索すると、この著作に関する言及がたくさんあるんだろうな~と思ったのですが…。(2009・11・23)

2009年11月19日木曜日

The Client's Client: The Edge Of Awareness

The Client's Client: The Edge Of Awareness

このコメントで教わったジェンドリンの文書。

昨夜、寝る前に読み終わってしまった(汗)

Section1のみ。
※ Section2も印刷しました。6枚12面だったかな?
※ 09/12/14の時点で、読むのを中断したまま。プロセスモデルの既に印刷したものを読んだ後になるだろう。

以下、無関係な記述が続きます。

※ 「フォーカシング」の読書中に図書館で見つけた本「思想家 河合隼雄」を先に読み終えたという話です。臨床心理学者の河合隼雄先生の、思想家としての側面を、中沢新一、鷲田清一氏などの論考が浮かび上がらせていきます。それは、奇しくも、今読んでいる「ジェンドリン哲学入門 フォーカシングの根底にあるもの」と重なるように思いました。臨床心理学の中でよりも、現代思想の中で影響力を残していくように見えるユング心理学。その評価が臨床のユング心理学を支えているかのようにも見えます。(臨床をしないでものをしゃべっているという批判を目にしたときは驚いたけど)
一方で、哲学者であるジェンドリンの思想は、革新的であるがゆえに、ユングの理論が宗教学などに影響を与え発展させていったようには受け取られない。どうしてだろう?

(改行―続きを読む―を削除しました。)

新刊コーナーにおいてあった「臨床家 河合隼雄」を一息に読んだのを弾みに、ジェンドリンの「フォーカシング」も第6章まで読み進みました。ジェンドリンが、フォーカシングだけでしないでくださいと書いているので、私もフォーカシングを離れていることに罪悪感を覚える必要がない?一方で、フォーカシングはあらゆることに応用できるので、翻訳にも、読書にも、そのほかのあらゆることに、学んだことを生かすことができる。

高校生のときから読んでいた河合心理学の本なので、読書のスピードはフォーカシング関係の文書を読むときとは比較にならないようです。しかし、河合隼雄のカウンセリング論を読むときに、フォーカシングの(あるいはロジャースの)アプローチを重ね合わせて読んでいる自分に気づきます。高校生のとき、こんなカウンセリングを受けてみたいと思っていた自分ですが、いまは「フォーカシング」を読みながら、こんなセッションを受けてみたいと思っています。

そういう(本を読んであれこれと考えている)自分は、変わっていないなぁと思います。本で読んだとおりのことが体験できるかどうかは別なんだよなぁと感じています。

「思想家 河合隼雄」
読んだ順序

[序論] 河合隼雄は思想家である・・・・・・中沢新一×河合俊雄

[論考]
河合隼雄と言葉・・・・・・養老孟司(聞き手・河合俊雄)

中空と鬼っ子・・・・・・河合俊雄

あいまいの記憶・・・・・・中沢新一

落としどころについて―河合隼雄における《臨床》と《対話》・・・・・・鷲田清一

昔話と夜、または数をめぐる冒険・・・・・・赤坂憲雄

と、ここにきて、後半の数をめぐる難しい冒険で挫折しました(爆)

[記録]を読み落としていることに気づきました。

※「挫折した数をめぐる冒険」、「アッシジの聖フランチェスコと日本の明恵」というタイトルの(2004年バルセロナ第16回国際分析心理学大会講演録である)[記録]を読み、その勢いで[資料編]用語解説まで読みました(2009・11・20)。「夢を見ている場合じゃない」いまこそ、夢の導き、その創造力、次なるステップを導き出す力を活かすときだと感じさせられました。

難しく感じられた数の冒険も、若手?の書いた用語解説も面白かったなぁ。

2009年11月18日水曜日

語られることを望んでいる物語

語られることを望んでいる物語: "語られることを望んでいる物語
The Story that wants to be told
Joyce Kornblant 
翻訳:小坂淑子 監訳:増田實"

印刷しました。(はてなブックマーク[あとで読む]に保存してあったもの)
[この投稿は、(多分Firefoxのアドオン)右クリックで「次に送信―Blogger」によって作成されました。]

※読了。

辞書を読む



図書館で辞書を読んだ。「カウンセリング辞典」たまたまなかったので、臨床心理学辞典。Gendlinで引くと項目も多く、それぞれ錚々たる面々が執筆されていた。(錚々たる面々の名前に心を動かされている自分がいやだ。しかし、信頼できる人たちだ。)



 考えてみれば、 翻訳に哲学辞典(平凡社)は使っても、(自宅にない)カウンセリング・心理学関係の辞典は活用してこなかった気がする。(岩波の小型心理学辞典には登場してもらった。そう言えば、フロイトの用語などは専門辞書に当たらざるを得なかった。)

通読するには項目が多すぎたが、フォーカシング関係の用語を、辞書を通して学ぶことができることを学んだ。今回はジェンドリンの索引からたどったわけだけど、「フォーカシング」を引くとまた違った結果が得られるのかしら?

2009年11月17日火曜日

フォーカシング入門

阿世賀浩一郎氏のフォーカシング入門の1・2・3・4を読んでみた。
 
両面印刷で(工夫すれば)9枚(18面)に収まる分量(ブラウザはFirefox)。

どこでも読んだことがないようなフォーカシング入門、という印象を感じるのは、(引用はあるけれども)著者自身の言葉で一貫して語られているからかなと思いました。

円座禅マニュアル(pdf)

一心塾 心身教育研究所で公開されているPDFファイルを印刷して読んでみた。

8ページの文書ですが、両面印刷で4枚になります。(エコノミーに設定すれば、薄い紙で、裏に色が抜ける心配もありません。)

概要がトップページ、方法が一ページのほかは用語説明に当てられており、フォーカシング(だけではないのだが)の基礎用語を確認することができる。ジェンドリンの「交差と浸ること(原典もリンク先)」という論文で覚えた交差という単語がわかりやすく解説されていました。また、「非暴力」を説明するくだりがぐっと来ました。

この用語集は、このマニュアル内では決して完結せず、(私を)「交差と浸ること」という論文に戻ったり、非暴力を実践するためのプレゼンスについて自分なりに確かめたりという次なるステップに誘います。最後には一ページの文献一覧が載せられていて、読んだ本と読んでいない本を確認することができます。

Focusing - Wikipedia, the free encyclopedia

Focusing - Wikipedia, the free encyclopedia

Wikipediaの英語版は日本語より充実している。さらに、翻訳、転載について、ルールが定められており、たとえばこのブログで紹介する際には引用元を明記するなどのルールを守れば問題なく、「もしかしたらまずいかも」というような著作権に関する問題に悩まされることがない。

ルール(印刷用)を確認したところ、書籍で学んだ以上に煩雑で、上に書いたことに確信がもてなくなった。

2009年11月12日木曜日

「夢とフォーカシング」☆★

*09・11・27 夢とフォーカシングを読んで感銘を受けたのは、自分の内面を明かさなくても良いということでした。(治療者側に)守秘義務があるとはいえ、治療場面では、自分の問題に向き合うこと=自分のプライバシーを明かしていくことと思い込み、そのことがカウンセリングの抵抗になっていました。この本に限らず、ジェンドリンは、からだに聴くことを通して自分を守ることについていろいろなことを教えてくれます。 そのまま(感じたまま)でいいんだよ、からだで感じることは信頼に足ることなんだよと、私を勇気付けてくれています。(個人の読後感であり、内容については書籍に当たって確認してください。)

2009年11月9日月曜日

諸富祥彦「生きがい発見の心理学」

諸富祥彦さんはたくさん書かれる本の中で、よくフォーカシングを取り上げています。

最近出された「9人の心理学者に学ぶ幸福論」をテーマにした新書の中に、ロジャーズやパールズ、フランクルと並んでジェンドリンとフォーカシングを取り上げていました。図書館で借り出したものがほとんどなので、手元に残っていないのでフォーカシングに「言及している著作リスト」のようなものは作れませんが、今手元にある本にもフォーカシングに一章を割いて取り上げているので、そのことを記事にしておきたいと思いました。しかし、私は諸富先生の本をフォーカシング関連の本として読んでいたわけではありません。トランスパーソナルの有名な人としてでもなく、取り上げる話題や文章が、わたしの心の琴線に触れてくるからに過ぎません。

この本は、NHKラジオ第二(AM)で2002年4月7日から9月29日まで放送された番組「こころをよむ」のテキスト、『生きがい発見の心理学 「自分」を生きる、「運命」を生きる』を再構成したものです。(本書奥付の前に書かれている)放送は、リアルタイムで聴いておりましたが、すべては聞いていません。いくつかの講義はMDに録音して保存してあります。毎週40分の講義が家にいながら受けられる、今考えても贅沢な放送でした。(その年の後半は、トランスパーソナル書籍翻訳家の方が担当。)

心理療法のさまざまなアプローチを取り上げていると言う意味で、「9人の心理学者に学ぶ」本とは内容が重なる部分がありますが、キーコンセプトがそれぞれ違うのでしょう。まったくのコピーでもありません。重なるだけに、微妙な違いがあることに気づきます。

2009年11月8日日曜日

019(fin.)_Introduction. In Focusing

Introduction. In Focusing 019

わたしの時間じゅう、わたしはある一続きの時間沈黙しています。そして私はときどき話します。私は言いたくないことは何も話さない。はるか内側から話すことが、私に私自身の声に耳を傾けさせ、受容的な相互作用の中でつながって生きさせるのです。

During my time I am silent for some stretches and I speak some of the time. I say nothing I don't want to say. Speaking from far inside lets me hear myself and live connectedly in a receptive interaction.
during O:
some of the time:
let O V':
listen, hear

Gendlin, E.T. (2007). Introduction. In Focusing [Reissue, with new introduction]. New York: Bantam Books. From
http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.html


Introduction. In Focusing 020
パートナーたちはアドバイスも、判断も、あるいはコメントも与えません。彼らは「私が思うに、あなたが言っているのは・・・」と返してただチェックするために何かを繰り返すかもしれません。しかし彼らはついていくことができないときに言うだけでよいのです。私はそれで私の言ったことを言い換えることができるのです。しかし私のパートナーは、私の意味するもののそれぞれのひだ(輝き)をつかみたいと思って、細心の注意を払うでしょう。

Partners give no advice, judgments, or comments. They may repeat something back just to check: "I think you are saying .....". But they need only say when they cannot follow, so that I can rephrase what I said. But my partner will pay close attention, wanting to grasp every wrinkle of what I mean.

judgment: eが落ちている
need:助動詞
*色違いは再生する際の誤字・脱字


Gendlin, E.T. (2007). Introduction. In Focusing [Reissue, with new introduction]. New York: Bantam Books. From
http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.html






Introduction. In Focusing 021
通常のフォーカシングパートナーシップは、人の人生を大きく改善します。私は自分のものなしでしたいと思わないでしょう。実際、私は二つ持っています。私は私の時間をフォーカシングのためか何か私の望むどんなもののためにも用います。私の番が始まると、私はそれがどのように招いているのか―、
それは私のためにあるのですが、感じます。私は私が望むものを知っている、あるいはスキャンして数分を使うかもしれません。私はこう思います「私はこれを話すかもしれない…、あるいは多分あれ(を)…、いや、できればまずフォーカシングして…」私はそれらのもののどれでも持つことができました。

A regular Focusing Partnership improves one's life immensely. I would not
want to do without mine. In fact, I have two. I use my time for
focusing or for whatever I wish. When my turn begins I feel how
inviting it is—it is just for me. I might know what I want, or
spend some minutes, scanning. I think: "I might talk of this..., or,
perhaps that..., well, perhaps first focus quietly..." I could have any
of those things.


我々はフォーカシングと傾聴、そしてフォーカシングのやり方で聞かれる経験についての数時間の電話訓練を提供します。それからあなたはウェブ上の共同者(パートナーシップ)プールから一人のパートナーを選ぶことができるのです。


We provide a few hours of telephone training in focusing, listening, and the experience of being listened to in a focusing way. Then you can select a partner from our Partnership Pool on the Web.




フォーカシングで、人は我々の前にいる人間が、いかなる技法、信仰・目的・プロジェクトの、いかなる集団より以上のものであることを知るのです。我々はいつもより重要なもののために我々がするどんなことも制限します。彼らがどんなことに直面していようとも、人々を慎み深い(遠慮がちな)仲間にしておくのです。人々にただ我々の素朴な存在を与えることは、彼らに存在させ、息をつかせるのです。我々は彼らが、何とか伝えようとしているもののために聞き、そしてほかの何も付け加えません。それは最小の押し付けを伴う最大限の接近を促進するのです。



With focusing one knows that the human being in front of us is more than any method, any set of beliefs, purpose, or project. We limit whatever we do for the sake of what is always more important: keeping people unobtrusive company with whatever they are up against. To give people
just our simple presence lets them be and breathe. We listen for what they mean to convey, and add nothing else. It makes for maximal closeness with minimal imposition.

※パラグラフごとにドキュメントを新規作成するのが面倒になって、ページ区切りを入れて訳を追加して行った。(トレーニングのために)和訳から英文を再生してみるなどを省いている。そういう作業を通して二重三重に訳文をチェックしていたのだが・・・。

017~018_Introduction. In Focusing

Introduction. In Focusing 017
For a while it seemed that just expressing our feelings would help our close relationships. Just blurt everything out. But, what the other person hear can be so very different from what you meant to say, and sometimes hurtful. Similarly, we often react in ways that shut the other person down.


しばらくの間、ただわれわれの感情を表現することはわれわれの親しい関係を助けるだろうと思 われました。ただすべてを吐き出すこと。しかし、他者が聞くことはあなた方が言おうとしていることからとても大きく異なり、時々有害である可能性がありま す。同様に、われわれはしばしば、他者を締め出すように反応します。


しばらくの間、ただわれわれの感情を表現することはわれわれの親しい関係を助けるだろうと思われました。
For a while it seemed that just expressing our feelings would help our close relationships.
seem (that):


ただあらゆることを不用意に漏らす。
Just blurt everything out.
blurt: 命令形?


しかし、他者が聞くことはあなた方が言おうとしていることからとても大きく異なり、時々有害である可能性があります。
But what the other person hears can be so very different from what you meant to say, sometimes hurtful.
hurtful:


同様に、われわれはしばしば、他者を締め出すように反応します。
Similarly, we often react in ways that shut the other person down.
shut O down:
締め出す:shut O out

ジェンドリン,E.T. (2007).導入(イントロダクション),フォーカシング[新しいイントロダクションを伴う再刊行物]. ニューヨーク:バンタムブックス 
http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.htmlから

Gendlin, E.T. (2007). Introduction. In Focusing
 [Reissue, with new
introduction]. New York: Bantam Books. From
http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.html


Introduction. In Focusing 018
セラピストは、彼ら自身の、彼ら自身に最も近い人々よりもずっと簡単に、クライエントの話を聴くことができます。親しい人々とともに、人が聞くそれぞれの小さなことで、人の人生全体は上ったり沈んだります。しかし、人々はクライエントに変化と癒しの段階の生じる、より深いレベルまで平和に同伴することができるのです。そのときクライエントはずっとより深くそして自由に彼ら自身の親しい人々にかかわることができるのです。フォーカシング共同体の新しいパターンは、セラピーの長所をあらゆる人に利用可能にします。フォーカシングパートナー(共同者)は何も費やしません。あなた方は交代でするのです。この新しい団体(機関)は社会の分散化を変えているのです。

Therapists can listen to clients much more easily than to their own people who are closest to them. With close people one's
whole life rises or sinks with each little bit one hears. But one can peacefully accompany clients to deeper levels where the steps of change and healing come.Then the clients can relate much more deeply and freely to their own close people. The new pattern of Focusing Partnerships makes this advantage of therapy available to everyone. A Focusing Partner costs nothing. You take turns. This new institution is changing the atomization of society.

セラピストは、彼ら自身の、彼ら自身に最も親しい人々よりもずっと簡単に、クライエントの話を聴くことができます。
Therapists can listen to clients much more easily than to their own people who are closest to them.
listen (vi.) to O    than (prop.)    my own people:

*親しい人々とともに、人が聞くそれぞれの小さなことで、人の人生全体は上ったり沈んだります。
With close people one's whole life rises or sinks with each little bit one hears.
one's whole life, rise, sink (vi.):

しかし、人々はクライエントに変化と癒しの段階の生じる、より深いレベルまで平和に同伴することができるのです。
But one can peacefully accompany clients to deeper levels where the steps of change and healing come.
同行する:accompany O to N: 〈人に〉〔~まで〕同行する

そのときクライエントはずっとより深くそして自由に彼ら自身の親しい人々にかかわることができるのです。
Then the clients can relate much more deeply and freely to their own close people.
then, relate to O:vi., one's own close people

フォーカシング共同体の新しいパターンは、セラピーの長所をあらゆる人に利用可能にします。
The new pattern of Focusing Partnerships makes this advantage of therapy available to everyone.
make O C to; advantage, available

フォーカシングパートナー(共同者)は何も費やしません。あなた方は交代でするのです。
A Focusing Partner costs nothing. You take turns.

この新しい団体(機関)は社会の分散化を変えているのです。
This new institution is changing the atomization of society.


ジェンドリン,E.T. (2007).導入(イントロダクション),フォーカシング[新しいイントロダクションを伴う再刊行物]. ニューヨーク:バンタムブックス 
http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.htmlから

Gendlin, E.T. (2007). Introduction. In Focusing [Reissue, with new introduction]. New York: Bantam Books. From
http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.html


2009年11月7日土曜日

タウンと人間的な注意☆★

*09/11/20 阿世賀先生のすでにブログの記事になっていることを知った。
私たちにとって大事なものは枠組み的思考によっては得られないということに気づかせてくれます。
ビジネスの世界で起こる不具合の半分以上が、適切な配慮の失敗に関係していることはよく知られています。適切な感心が必要とされており、関心の質を高めるためにお金が払われています。
ジェンドリンの論文は哲学に由来しているがために読みにくいとも言われるようだが、フォーカシング関係の文章の中ではやはりひきつけられる程度が断然高いと思う。 印刷したのはジェンドリンの文章だけではないが、最初に読み終えたの二つとも彼のものだった。タウンと人間的な注意(講演)に加えて、フォーカシングの展望 アクションステップとプロジェクト

ジェンドリンはこの文章(タウンと人間的な注意)の最後にこう述べています。「私たちはあきらめてはいけません。物事は変化しており、それはとても興味深く変化しているのです。「経済」にはまり込んだり、自分という人間が「神経学」から成り立っていると考えたり、人々が作り上げた素敵な分析ツールのひとつにとらわれてしまったりしなければ、私たちはその変化について考えることができます。」神経経済学にも言及している有名な経済評論家のことを思い浮かべてしまいます。

そして、「すべてを管理する立場にある人は、今はまだ枠組みで考えています。しかし、今物事があまりうまくいっていないからといって、希望をなくさないでください。それは変わりつつあります。」と講演を締めくくるくだりで、社会学でも、経済学でもない立場からの希望を表明し、人々を勇気付けるジェンドリンを見つけることができるのです。

2009年11月6日金曜日

ウェブ上のリソースを読んでいます。

フォーカシング研究所では、翻訳を提供しているが、ウェブ上で分量の多いものを最後まで読むのが大変なので、(それぞれの環境にもよると思うが)私は印刷して読みたいときに手にとって読むことができるようにしている。

PCを立ち上げるまでもないし、風呂場に持ち込むこともできる。本なら湯気で傷むことを覚悟しなくてはならない。マーキングもできる。エコノミーモードで両面印刷をすれば、インクの量も、時間も節約できる。チラシの裏など、使えそうなものを再利用してもいい。

そんな風に、ウェブ上のリソースを印刷して読み始めている。英文を翻訳しながら少しずつよむこと、一方で日本語、あるいは翻訳、あるいは原文を、ナチュラル・スピードで読んでいくことで、視野を広めていく。こうしたプロセス自体をフォーカシングで進めていくといいんじゃないかなと思う。

せっかちに読み進んで、何も残らないのでは意味がないとよく思う。一方で、遅々としたプロセスの歩みにいらいらしたりする自分もいる。

こうした作業を進めるうちに、どんな本を読んでいいかがわかったり、参加できる集会があったら(経済的に、物理的に)いきたいなとか、思い始めたりするのです。

翻訳は最後までしましたが、記事にまとめるのが面倒になってしまいました…。

2009年10月23日金曜日

016_Introduction. In Focusing

Introduction. In Focusing 016

Currently the cultural routines and roles that used to connect us are insufficient. We have to innovate all day, find new ways to be a woman, man, wife, parent, teacher, executive, old person, young person. Our close relationships tend(単数形) to fall apart. "Nobody seems to fit with me," people say. Each person is intricate inside, and lonely. Modern urban society is atomized.


現在、我々をつなぎ合わせてできたものであるところの文化的に決まりきったことや役割は十分ではありません。我々は、一人の女性、男性、妻、親、教師、重役、老人、若者であるために、一日中革新し、新しい道を見つけなければなりません。我々の緊密な人間関係は、ばらばらになる傾向があります。誰も私となじむように思われる人はいないと人々はいいます。各人は内心では複雑であり、孤独です。現代の都市社会は細分化されているのです。


現在、文化的に決まりきったことや役割(我々をつなぎ合わせてできたものであるところの)は十分ではありません。
Currently the cultural routines and roles that used to connect(原形) to us is insufficient.


我々は、一人の女性、男性、妻、親、教師、重役、老人、若者であるために、一日中革新し、新しい道を見つけなければなりません。
We have to innovate all day, find new ways to be a woman, man, wife, teacher, executive, old person, young person.

※コンマで区切られ、動詞が追加されているように見える。andでつながれてはいない。
※つながりが今ひとつわからないところ。


我々の、緊密な人間関係は、ばらばらになる傾向があります。
Our close relationships tend(原形) to fall apart.


誰も私となじむように思われる人はいないと人々はいいます。
"Nobody seems to fit with me," people say.


各人は内心では複雑であり、孤独です。
Each person is intricate inside, and lonely.


現代の都市社会は細分化されています。
Modern urban society is atomized.

語彙:
*routine:アクセント注意(後にくる)
*innovate: vi.
 fit(vi.) with O:

new ways: (複数、無冠詞)
our close relationships:

ばらばらになる:fall apart


ジェンドリン,E.T. (2007).導入(イントロダクション),フォーカシング[新しいイントロダクションを伴う再刊行物]. ニューヨーク:バンタムブックス http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.htmlから

Gendlin, E.T. (2007). Introduction. In Focusing [Reissue, with new introduction]. New York: Bantam Books. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.html


2009年10月16日金曜日

015_Introduction. In Focusing

Introduction. In Focusing 015

More than 600 certified focusing trainers around the
world are available on your private telephone. They can show you the
beginning of focusing in one or several hours. Then you can also find a
"Focusing Partner" on our web site with whom to divide time, take
turns, usually also on the phone. Focusing Partnerships are not
friendships, not therapy, not family. Focusing Partnerships are a new
social institution. Let me explain the need for it.


世界中にいる600人以上の認定フォーカシングトレーナーがあなたの私用電話で利用可能になっています。かれらは1~数時間であなたにフォーカシングの始まりを明らかにすることができるのです。それからあなたは我々のウェブサイトで、通常は電話でも、時間を分かち合い、交代でするための「フォーカシング・パートナー」を見つけることもまたできるのです。フォーカシングパートナーシップは友人関係ではありません。セラピーでもありませんし、家族でもありません。フォーカシングパートナーシップは新しい社会団体です。私にその必要性を説明させてください。

世界中にいる600人以上の認定フォーカシングトレーナーがあなたの私用電話で利用可能になっています。
More than 600 certified focusing trainers around the world are available on your private telephone.


かれらは1~数時間であなたにフォーカシングの始まりを明らかにすることができるのです。
They can show you the beginning of focusing in one or several hours.
.
それからあなたは我々のウェブサイトで、通常は電話でも、時間を分かち合い、交代でするための「フォーカシング・パートナー」を見つけることもまたできるのです。
They can also find a "focusing partner" on our web with whom to divide time, take turns, usually also on the phone.


フォーカシングパートナーシップは友人関係ではありません。セラピーでもありませんし、家族でもありません。
Focusing partnerships are not friendships, not therapy, not family.
-ship:


フォーカシングパートナーシップは新しい社会団体です。私にその必要性を説明させてください。
Focusing partnerships are a(単数) new social institution. Let me explain the need for it.







ジェンドリン,E.T. (2007).導入(イントロダクション),フォーカシング[新しいイントロダクションを伴う再刊行物]. ニューヨーク:バンタムブックス http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.htmlから

Gendlin, E.T. (2007). Introduction. In Focusing [Reissue, with new introduction]. New York: Bantam Books. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.html


014_Introduction. In Focusing

Introduction. In Focusing 014


When people first discover the power of focusing, they may think it is all
they need. But focusing adds a deeper bodily level to other methods and
can improve them. It cuts across the others and should be combined with
anything else that can develop us as persons.


人々が最初にフォーカシングの力に気づくとき、彼らはそれが彼らの必要とするすべてであると考えるかもしれません。しかしフォーカシングは、より深いからだのレヴェルを他の方法に加え、それらを改善することができるのです。それは他方面に広く及び、我々を人間として成長させることのできる他のいかなることとでも結びつくでありましょう。


人々が最初にフォーカシングの力を発見するとき、彼らはそれが彼らの必要とするすべてであると考えるかもしれません。
When people first discover the power of focusing, they may think it is all they need.



しかしフォーカシングは、より深いからだのレヴェルを他の方法に追加し、それらを改善することができるのです。
But focusing adds a deeper bodily level to the other methods and can improve them



それは他方に広く及び、我々を人間として成長させることのできる他のいかなることとでも結びつくでありましょう。

It cuts across the others and should be combined with anything else that can develop us as humans.
combine with A :Aと結びつく
should?



(参考)
人々が最初に焦点に集まる力を発見するとき、彼らはそれが彼らが必要とするすべてであると思うかもしれません。しかし、焦点に集まることはより深い身体のレ
ベルを他の方法に加えて、彼らを改善することができます。それは他を横断して、人として我々を発育させることができる他に何かと結合されなければなりませ
ん。

人々が最初に集中のパワーを発見する
とき、彼らは、それが必要とするすべてであると思うかもしれません。
しかし、集中は、より深い身体上レベルを他の方法に追加して、それらを改良できます。
それは、他のものを横切って、人々として私たちを開発できる他の何かに結合されるべきです。


ジェンドリン,E.T. (2007).序論(イントロダクション),フォーカシング[新しい序論を伴う再刊行]. ニューヨーク:バンタムブックス http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.htmlから

Gendlin, E.T. (2007). Introduction. In Focusing [Reissue, with new introduction]. New York: Bantam Books. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.html


2009年10月14日水曜日

013_Introduction. In Focusing

Introduction. In Focusing 013
Our research on focusing is a small example of this
potentially great new science. A long series of studies show from
tape-recordings and tests that therapy has better outcomes when clients
focus. Many other effects of focusing have also been measured, for
example better functioning of the immune system. Focusing has been
applied in many contexts including schools, businesses, spiritual
groups, creative writing, and many settings.


A long series of: 長い一連の、長期にわたる


フォーカシングにおける我々の調査は、この潜在的に大きく新しい科学の一つの小さな例なのです。長きにわたる研究は、テープ録音とテストから、クライエントがフォーカシングするとき、セラピーがよりよい結果を持つことを明らかにしています。多くのフォーカシングのほかの効果もまた測られてきました。例えば免疫システムがより良く機能することなどです。フォーカシングは、多くの文脈に適用されてきました。学校、ビジネス、霊的(スピリチュアル)グループ、創作など多くの設定を含んでいるのです。


フォーカシングにおける我々の調査は、この潜在的に大きく新しい科学の一つの小さな例なのです。

Our research on  focusing is a small example of this potentially great new science.
potentially:adv 潜在的に、もしかすると


長きにわたる研究は、テープ録音とテストから、クライエントがフォーカシングするとき、セラピーがよりよい結果を持つことを明らかにしています。

A long series of study from tape recordings and tests shows that therapy has better outcomes when (the) clients focus.


多くのフォーカシングのほかの効果が測られてもきました。例えば免疫システムがより良く機能することなどです。

Many other effects of focusing have also been measured, for example better functioning of the immune system.


フォーカシングは、学校、ビジネス、霊的(スピリチュアル)グループ、創作などたくさんの設定を含んでいる多くの文脈に適用されてきました。

Focusing has been applyed(ing) in many contents containing schools, businesses, spiritual groups, creative writings, and many settings.

ジェンドリン,E.T. (2007).序論(イントロダクション),フォーカシング[新しいイントロダクションを伴う再刊行物]. ニューヨーク:バンタムブックス http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.htmlから

Gendlin, E.T. (2007). Introduction. In Focusing [Reissue, with new introduction]. New York: Bantam Books. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.html


012_Introduction. In Focusing

Introduction. In Focusing 012

This kind of science need not be the only kind. The holistic science of
ecology shows that more than one kind of science is possible. My
philosophy adds another kind, a first-person science that can study
itself! It centers on the body sensed from inside, where new things
arise. Using focusing, we have developed "Thinking At the Edge" (TAE),
teachable steps to articulate something new in the field in which you
work. (348文字)

この種の科学は唯一の種類である必要はありません。生態学の全体論的科学は一より多い種類の科学がありうることを明らかにしています。私の哲学は別の種類の、それ自体を研究できる一人称の科学を付け加えます!それは内側から感じられたからだに中心を置きます。そこで、新しいことが立ち上がるのです。フォーカシングを使って、我々は「エッジについて考えること」(TAE)を発展させました。あなたがワークする場において新しいものを的確に表現するための教えやすいステップです。


この種の科学は唯一の種類である必要はありません。生態学の全体論的科学は一より多い種類の科学がありうることを明らかにしています。

This kind of science need not be the only kind. The holistic science of ecology show that more than one kind of science.
show that S V


私の哲学は別の種類の、それ自体を研究できる一人称の科学を付け加えます!それは内側から感じられたからだに中心を置きます。そこで、新しいことが立ち上がるのです。

My philosophy adds a one person science that can study itself! It centered on the body sensed from inside, where new things arise.


フォーカシングを使って、我々は「エッジについて考えること」(TAE)を発展させました。あなたがワークする場において新しいものを的確に表現するための教えやすいステップです。

Using focusing, we have developed "Thinking At the Edge"(TAE), teachable steps to articulate something new in the field in which you work.

※訳がこなれないのは、一つには下調べが足りないのでしょう。




ジェンドリン,E.T. (2007).導入(イントロダクション),フォーカシング[新しいイントロダクションを伴う再刊行物]. ニューヨーク:バンタムブックス http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.htmlから

Gendlin, E.T. (2007). Introduction. In Focusing [Reissue, with new introduction]. New York: Bantam Books. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.html


011_Introduction. In Focusing

Introduction. In Focusing 011


Science is not a game. Its truth is based on empirical testing. You wouldn't
want to get on an untested airplane. We need our wonderful machines to
work. But the basic method of this science renders everything it
studies as machines.

科学はゲームではありません。その真実は実証的な験定に基づいています。あなたは検査されていない飛行機に乗りたくないでしょう?我々は作業するために我々の素晴らしい機械を必要としています。しかしこの科学の基本的な方法はそれが研究するあらゆるものを機械としてしまうのです。

科学はゲームではありません。
Science in not a game.

その真実は実証的な検定に基づいています。
Its truth is based on empirical testing.
empirical testing? 実証的検定、実験的試験

あなたは検査されていない飛行機に乗りたくないでしょう。
You wouldn't want to get on the untested plane.

我々は作業するための素晴らしい機械を必要としています。
We need our wonderful machines to work.
machines to work?

しかしこの科学の基本的な方法はそれが研究するあらゆるものを機械としてしまうのです。
But the basic method of this science renders it studies as machine.



ジェンドリン,E.T. (2007).導入(イントロダクション),フォーカシング[新しいイントロダクションを伴う再刊行物]. ニューヨーク:バンタムブックス http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.htmlから

Gendlin, E.T. (2007). Introduction. In Focusing [Reissue, with new introduction]. New York: Bantam Books. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.html


010_Introduction. In Focusing

Introduction. In Focusing 010


Social policy still assumes that human beings and animals are nothing but what
science presents. For example, genetic engineering is now creating a
cow-pig. It will have all lean meat. The company will corner the market
for agricultural animals, never mind that the cowpig is in pain. How we
treat each other is often similar. Humans disappear in the current kind
of science. Our science cannot even study the scientists themselves,
and how they make the scientific concepts.

社会政策は、人間と動物が科学が提示することだけであるとまだ仮定します。たとえば、遺伝子工学は現在雌ブタをつくっています。それは、すべての赤み肉をと
ります。同社はcowpigが痛みであるように決して注意しなくて、農業動物のために独占します。我々が互いを扱う方法は、しばしば類似しています。人間
は、現在の種類の科学で姿を消します。我々の科学は、科学者自身と彼らが科学的な概念を作る方法を研究することさえできません。(yahoo)


社会政策は、人間と動物がただ科学が提示する者であるとまだ仮定しています。 例えば、遺伝子工学は、今、牛ブタを作成しています。 それはすべての脂肪のない肉を食べるでしょう。 会社は農業動物の市場、決してcowpigが痛みである心でないのを追い詰めるでしょう。私たちがどうお互いを扱うかは、しばしば似ているです。 人間は現在の種類の科学で姿を消します。私たちの科学は科学者のために自分たちと、彼らがどう科学的概念を作るかを研究さえできません。(excite+)

社会政策はまだ人間と動物は科学が提供するものだと思い込んでいます。例えば、遺伝子工学はいまウシブタをつくっています。それはすべて脂肪のない肉を持つでしょう。会社はウシブタが苦しんでいることを決して気にかけずに家畜市場を買い占めるでしょう。我々がお互いをいかに扱うかはしばしばよく似ているのです。人間はいまの科学のなかで姿を消します。我々の科学は科学者たち自身、そして彼らが科学的概念をいかに創るのかということを研究することがまったくできないのです。(me)

社会政策はまだ人間と動物は科学が提供するものだと思い込んでいます。
Social policy still assumes that human beings and animals are what science presents.

例えば、遺伝子工学はいま牛豚をつくっています。
For example, (無冠詞) genetic engineering is now creating a cow-pig.

それは全部脂肪のない肉を持つでしょう。
It will have all lean meat.

会社は牛豚が苦しんでいることを決して気にかけずに家畜市場を買い占めるでしょう。
The company will corner the market for the (無冠詞) agricultural animals, never mind that the a cow-pig is in pain

苦しんでいること? 
"corner the market"は「市場を買い占める」だが、家畜市場?

我々がお互いをいかに扱うかはしばしばよく似ているのです。
How we treat each other is often similiar.

人間はいまの科学のなかで姿を消します。
Humans disappear in the current kind of science.

我々の科学は科学者たち自身、そして彼らが科学的概念をいかに創るのかを研究することがまったくできません。
Our science cannot even study the scientist themselves,and how they createmake the scientific concepts. 


ジェンドリン,E.T. (2007).導入(イントロダクション),フォーカシング[新しいイントロダクションを伴う再刊行物]. ニューヨーク:バンタムブックス http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.htmlから

Gendlin, E.T. (2007). Introduction. In Focusing [Reissue, with new introduction]. New York: Bantam Books. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.html


009_Introduction. In Focusing

Introduction. In Focusing 009


You can sense your living body directly under your
thoughts and memories and under your familiar feelings. Focusing
happens at a deeper level than your feelings. Under them you can
discover a physically sensed "murky zone" which you can enter and open.
This is the source from which new steps emerge. Once found, it is a
palpable presence underneath.(292charactors)

あなたは、あなたの考えと記憶の下で、そして、あなたのおなじみの感情の下で直接あなたの生きた体を感じることができます。焦点に集まることは、あなたの感情より深いレベルで起こります。彼らの下で、あなたはあなたが入ることができて、開けることができる身体的に感じられた「暗い地帯」を発見することができます。これは、新しいステップが出てくる源です。一旦見つかるならば、それは下に明白な存在です。(yahoo)


あなたは直接あなたの考えと思い出と身近な気持ちで生体を感じることができます。 集中はあなたの気持ちより深いレベルで起こります。それらの下では、あなたは入って、開くことができる物理的に感じられた「暗いゾーン」を発見できます。 これは新しいステップが出て来るソースです。いったん見つけられると、それは下部での明白な存在です。(excite)

あなたはあなたの思考と記憶の下に、あなたの親しみやすい感情の下に直接あなたの生きているからだを感じ取ることができるのです。フォーカシングはあなたの感情以上により深い水準で起こるのです。それらの下にあなたは物理的に感じられた理解しにくい地帯を発見します。それはあなたが入り、聞くことができるのです。これが新しいステップが発する源なのです。いったん見つかれば、その下にあるのは触知できる存在なのです。(me)

あなたはあなたの思考と記憶の下に、あなたの親しみやすい感情の下に直接あなたの生きているからだを感じ取ることができるのです。
You can sense your living body directly under your thoughts and memories and under your familiar feelings.

フォーカシングはあなたの感情以上により深い水準で起こるのです。
Focusing happens at a deeper level than your feelings.

それらの下にあなたは物理的に感じられた理解しにくい地帯を発見します。それはあなたが入り、聞くことができるのです。
Under them you discover a physically sensed "murky zone" which you can enter and open.

これが新しいステップが発する源なのです。
This is the source from which new steps emerge.

いったん見つかれば、その下にあるのは触知できる存在なのです。

Once found, it is a palpable presence underneath.


ジェンドリン,E.T. (2007).導入(イントロダクション),フォーカシング[新しいイントロダクションを伴う再刊行物]. ニューヨーク:バンタムブックス http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.htmlから

Gendlin, E.T. (2007). Introduction. In Focusing [Reissue, with new introduction]. New York: Bantam Books. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.html


2009年10月10日土曜日

Introduction. In Focusing 008

Introduction. In Focusing 008


My philosophy leads to new concepts in physics and biology, to understand
the human body differently. Your body is not a machine, rather a
wonderfully intricate interaction with everything around you, which is
why it "knows" so much just in being. The animals live intricately with
each other without culture and language. The different cultures don't
create us. They only add elaboration. The living body is always going
beyond what evolution, culture and language have already built. The
body is always sketching and probing a few steps further. Your ongoing
living makes new evolution and history happen—now. (515words)

私の哲学は、人体を異なるように理解するために、物理学と生物学の新しい概念に通じます。 あなたのからだは機械というより、むしろあなたの周りのすべてとの素晴らしく入り組んだ相互作用なのです。それが、ただ存在しているとき、とても多くを「知っている」理由であります。 動物は文化と言語なしでお互いと複雑に生きています。 異文化が私たちを造るのではありません。 彼らは仕上げを加えるだけです。 生きているからだはいつも、進化、文化、および言語が既に組み立ててあるものを超えて行くでしょう。 からだは、いつも数ステップ先を素描して、探っています。 あなたの進行中の生は、いま、新しい進化と歴史が興るようにするのです。

私の哲学は、人のからだを違ったふうに理解するために、物理学と生物学の新しい概念に通じています。
My philosophy leads to (✗the:無冠詞) new concepts(複数形) of physics and biology, to understand the human body differently.

あなたのからだは機械ではなくむしろあなたの周りのあらゆるものとの驚異的に複雑な相互作用なのです。
Your body is not a machine, rather a wonderfully intricate interaction with everything around you,

それが、ただ存在しているときにとても多くを「知っている」理由なのです。
それがとてもまさしく存在における多くを「知っている」理由です。
which is why it "knows" so much just in being.

動物は文化や言語なしで、お互いと入り組んで生活しています。
The animals live intricately with each other without languages and cultures
each other :代名詞

異なった文化が我々を作るのではありません。
The different cultures don't create us.

彼らはただ推敲するだけなのです。
They only add elaboration..

生きているからだは常に進化や歴史や言語がすでに組み立てられたものを超えていっているのです。
The living body is always going beyond what evolution, culture and language have already built.

からだはいつも先の数歩を素描し、探っているのです。
The body is always sketching and probing few steps further.

あなたの進行中の生はいま、新しい進化と歴史が生まれるようにします。
Your ongoing living make new evolution and history happen---now.


ジェンドリン,E.T. (2007).導入(イントロダクション),フォーカシング[新しいイントロダクションを伴う再刊行物]. ニューヨーク:バンタムブックス http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.htmlから

Gendlin, E.T. (2007). Introduction. In Focusing [Reissue, with new introduction]. New York: Bantam Books. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.html


Introduction. In Focusing 007

Introduction. In Focusing 007



In philosophy the "objectivists" hold that human experience is an illusion
emanating from brain structures and chemistry. Their opponents, the
"relativists," hold that human experience is just a product of one of
the many cultures, histories and languages. Underneath the variety
there is nothing at all. (215charactor)

哲学において、「客観主義者」は人間の経験が脳構造と化学的性質から生じている幻想であると考えます。彼らの敵(「相対論者」)は、人間の経験がちょうど多くの文化、歴史および言語のうちの1つの産物であると考えます。多様性の下に、まったく何もありません。

In
philosophy the "objectivists" hold that human experience is an illusion
emanating from brain structures and chemistry.
哲学において、「客観主義者」は人間の経験が脳構造と化学的性質から生じている幻想であると考えます。

Their opponents, the
"relativists," hold that human experience is just a product of one of
the many cultures, histories and languages.
彼らの敵(「相対論者」)は、人間の経験がちょうど多くの文化、歴史および言語のうちの1つの産物であると考えます。

Underneath the variety
there is nothing at all.
多様性の下に、まったく何もありません。


ジェンドリン,E.T. (2007).導入(イントロダクション),フォーカシング[新しいイントロダクションを伴う再刊行物]. ニューヨーク:バンタムブックス http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.htmlから

Gendlin, E.T. (2007). Introduction. In Focusing [Reissue, with new introduction]. New York: Bantam Books. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.html


Introduction. In Focusing 006

Introduction. In Focusing 006



フォーカシングはいま世界規模のネットワークです。フォーカシングを知る人々は、「ここで正しい次の一歩になるのは何でしょうか?」と尋ねます。しかしこれは社会の残りの人々にとってばかげて思われる可能性を持っていますどのようににして新しい現実的な考えや行動のステップがからだから立ち上がるのでしょう?からだは単なる機械ではないのですか?どうしてからだからより多く生じるでしょうか、進化や言語や文化がそれに組み入れられていた以上に?







Focusing is now a worldwide network. People who
know focusing ask: "What would be a right next step here?" But this has
can seem insane to the rest of our society. How could new realistic
ideas and action steps arise from the body? Isn't the body just a
machine? How can more come from the body than evolution, language and
culture have built into it? (287words)

フォーカシングはいま世界規模のネットワークです。
Focusing is now worldwid
e network

フォーカシングを知る人々は、「ここで正しい次の一歩になるのは何でしょうか?」と尋ねます。

People who know focusing ask :"What would be a right next step?"

しかしこれは社会の残りの人々にとってばかげて思われる可能性を持っています。
But this has can seem insane to the rest of our society.
※助動詞が続いていてなんだかわかりません。



どのようににして新しい現実的な考えや行動のステップがからだから立ち上がるのでしょうか?
How could new realistic ideas and action steps arise from the body?



からだは単なる機械ではないのでしょうか?
Isn't the body just a machine?

どうしてからだから生じるでしょうか、進化や言語や文化がそれに組み入れられていた以上により多く?
How can more come from the body than evolution, language and culture have built into it?


ジェンドリン,E.T. (2007).導入(イントロダクション),フォーカシング[新しいイントロダクションを伴う再刊行物]. ニューヨーク:バンタムブックス http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.htmlから

Gendlin, E.T. (2007). Introduction. In Focusing [Reissue, with new introduction]. New York: Bantam Books. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.html


2009年10月8日木曜日

Introduction. In Focusing 005

Introduction. In Focusing 005

あなたはこのより深い段階を見つけたあと、ここにとどまるのに練習を必要とします。
ある困難なとき、たいていの人はステップが生じるのに十分長く、その状況の身体感覚を離さないでいることができません。我々はあなたがこれをするよう鍛えることができるのです。たいていの人々は、そのはっきりしない感じられた意味感覚を、考えと行動の新しいステップの生じるところである入り組んだ細部(詳細)の場(フィールド)全体に「開いている」ままにする方法を知りません。

After you find this deeper level, it takes practice to stay here. In
a difficult moment most people cannot hold on to the body-sense of the
situation long enough for steps to come. We can train you to do this.
Most people don't know how to let the unclear felt sense "open" into a
whole field of intricate detail from which new steps of thought and
action emerge. (296words)


あなたはこのより深い段階を見つけたあと、ここにとどまるのに練習を必要とします。
After You find this deeper level, it takes practice to stay here.
take O to do : 必要とする

ある困難なとき、たいていの人はステップが生じるのに十分長く、その状況の身体感覚を離さないでいることができません。
In a different moment most people cannot hold on to the body-sense of the situation long enough for new steps to come.

我々はあなたがこれをするよう鍛えることができるのです。
We can train you to do this.
train O to do :[~が](~するよう)教え込む、鍛える

たいていの人々は、そのはっきりしない感じられた意味感覚を、考えと行動の新しいステップの生じるところの入り組んだ細部の場全体に「開いている」ままにする方法を知りません。
Most people don't know how to let the unclear felt sense "open" into a(✗the) whole field of (✗the) intricate detail from which new steps of thought and action emerge.

ジェンドリン,E.T. (2007).導入(イントロダクション),フォーカシング[新しいイントロダクションを伴う再刊行物]. ニューヨーク:バンタムブックス http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.htmlから

Gendlin, E.T. (2007). Introduction. In Focusing [Reissue, with new introduction]. New York: Bantam Books. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.html

2009年10月7日水曜日

再開

ドキュメントの日付を見ると、前回の日付から4ヶ月経過しているようだ。
それでも私は戻ってきた。
梅雨を越え、暑い夏を経て、私は中断していた原文のコピーを見つけ、
中断していたところを確認してまた再開した。

Introduction. In Focusing 004

Introduction. In Focusing 004
あなたは、あるからだの指し示す感覚を持っています。あなたは、このページを読んで、あなたが誰であるのかを、あなたがこの部屋であなたがどのようになるのかを知るのです。知ることは、あなたのからだで物理的に感じ取られ、易しく見つけることができるのです。しかし、このからだの知るところは更に深く展開することができるのです。あなたはあるより深いからだの感じられた意味がどんな特定の状況に関して生ぜしめられるのかを学ぶことができます。あなたのからだはそれぞれのあなたの状況の全体を、あなたが考える以上にそのはるかに多くの側面を「知っている」のです。
ここであなたは生じて欲しいと思う一つの複雑なからだの知識と新たなステップを見つける。そしてそれはあなたがここで待つことができるとき、生じるでしょう。


You have a bodily orienting sense. You know who you are and how you
come to be in this room, reading this page. To know this you don't need
to think. The knowing is physically sensed in your body and can easily
be found. But this bodily knowing can extend much more deeply. You can
learn how to let a deeper bodily felt sense come in relation to any
specific situation. Your body "knows" the whole of each of your
situations, vastly more aspects of it than you can think. Here you find
an intricate bodily knowledge and new steps that want to come, and will
come if you can wait here. (473 words)

あなたは、ある(ひとつの)からだの指し示す感覚を持っています。

You have a bodily orienting sense.

あなたは、このページを読んで、あなたが誰であるのかを、この部屋であなたがどのようになるのかを知るのです。
You know who you are and how you come to be in this room, reading this page.

知ることは、あなたのからだで物理的に感じ取られ、易しく見つけることができるのです。
The knowing is phisically sensed in your body and can easily be found.

しかし、このからだの知るところは更に深く展開することができるのです。
But this bodily knowing can extend much more deeply.

あなたはあるより深いからだの感じられた意味がどんな特定の状況に関して生ぜしめられるのかを学ぶことができます。
You can learn how to let a deeper bodily felt sense come in relation to any specific situation.

あなたのからだはそれぞれのあなたの状況の全体を、あなたが考える以上にそのはるかに多くの側面を「知っている」のです。
Your body "knows" the whole of each of your situations, vastly more aspects of it than you think.

ここであなたは生じて欲しいと思う一つの複雑なからだの知識と新たなステップを見つける。そしてそれはあなたがここで待つことができるとき、生じるでしょう。
Here you find a intricate bodily knowledge and new steps that want to come, and will come if you can wait here.

ジェンドリン,E.T. (2007).導入(イントロダクション),フォーカシング[新しいイントロダクションを伴う再刊行物]. ニューヨーク:バンタムブックス http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.htmlから

Gendlin, E.T. (2007). Introduction. In Focusing [Reissue, with new introduction]. New York: Bantam Books. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.html

2009年10月6日火曜日

Introduction. In Focusing 003

003
あなた自身を確かめて(チェックして)ください。次の数行であなたがもはや私が何を話しているか知らないところに気づいてください。我々はあなたをここからもっと先へ連れて行くことができるのです。

Check yourself. Notice where in my next few sentences you no longer know what I'm talking about. We can take you on further, from there.


ジェンドリン,E.T. (2007).導入(イントロダクション),フォーカシング[新しいイントロダクションを伴う再刊行物]. ニューヨーク:バンタムブックス http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.htmlから

Gendlin, E.T. (2007). Introduction. In Focusing [Reissue, with new introduction]. New York: Bantam Books. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.html

これは、イントロダクション(導入).「フォーカシング」(2007年版)へのリンクです。

Introduction. In Focusing 002

002
今日人々はこのからだの源からさまざまな距離で生きています。私はセラピストたちにあなたのクライエントたちが重要な何かをいうとき、自分の胃と腰の間に手を置いて彼らに「もしここにあなたがいるなら、これについてあなたのからだにおいて何が生まれているでしょうか?」と尋ねてくださいといいます。すでにこの源に接近しているそれらのクライエントたちとは、療法はすぐに深まるでしょう。他の半分は「あなたは何を意味しているのですか?」と尋ねるでしょう。

Today people live at various distances from this bodily source. I tell therapists: When your clients say something important, put your hand between your own stomach and chest, and ask them: "If you attend here, what comes in your body about this?" Therapy will immediately deepen with those clients who are already close to this source. The other half will ask: "What do you mean?"



Gendlin, E.T. (2007). Introduction. In Focusing [Reissue, with new introduction]. New York: Bantam Books. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.html

これは、イントロダクション(導入).「フォーカシング」(2007年版)へのリンクです。

Introduction. In Focusing 001

ジェンドリン,E.T. (2007).導入(イントロダクション),フォーカシング[新しいイントロダクションを伴う再刊行物]. ニューヨーク:バンタムブックス http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.htmlから

Gendlin, E.T. (2007). Introduction. In Focusing [Reissue, with new introduction]. New York: Bantam Books. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.html

これは、イントロダクション(導入).「フォーカシング」(2007年版)へのリンクです。
This is a link to Introduction. 'Focusing' (2007 edition)



001
フォーカシングナウ:25周年記念版への序文
Focusing Now: An Introduction to the 25th Anniversary Edition

25年前、フォーカシングは新しかったのですが、私は「無意識はからだである」ということによってシカゴ大学の同僚に衝撃を与えました。
Twenty-five years ago, when focusing was new, I shocked a colleague at the University of Chicago by saying “The unconscious is the body.”

今では、情報(インフォメーション)と革新(イノベーション)の源としてからだを強調することは新しくありません。
By now an emphasis on the body as a source of imformation and innovation is not new.

しかしまさにどのように人がこの源にタップ(軽くたたく)することができるのかはまだ広く知られておりません。
But exactly how one can tap into this source is yet widely known.

唯一フォーカシング共同体からのみ、人はよりよく発展し、試(ため)された、それは身体知とそれから生じる新しいステップに直接アクセス(接近)するための教示を得ることができるのです。
Only from Focusing Community can one get well-developed and tested instructions for direct access to embodied knowledge and the new steps that come from it.


embodied knowledge 身体知

2009/10/06 18:34
2013/04/26:誤訳を訂正。

2009年6月11日木曜日

ジェンドリン,E.T. (2007).導入(イントロダクション),フォーカ...

ジェンドリン,E.T. (2007).導入(イントロダクション)フォーカシング[新しいイントロダクションを伴う再刊行物]. ニューヨーク:バンタムブックス http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.htmlから
Gendlin, E.T. (2007). Introduction. In Focusing [Reissue, with new introduction]. New York: Bantam Books. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2176.html


これは、イントロダクション(導入).「フォーカシング」(2007年版)へのリンクです。


This is a link to
Introduction. 'Focusing' (2007 edition)


Yahoo!翻訳
Excite翻訳

2009年6月9日火曜日

校正日記2

ドキュメントの手入れ。それに伴い、ブロガーの記事も、まとめも随時更新する。
26(最後)、12、13のドキュメントを作り、一通り揃う。01も印刷。
ただ、肝心のこなれてない翻訳のブラッシュアップには切り込んでない。
ひどく疲れてしまうのも、ピントのあっていない作業によるのではないだろうか。
プロセスに従うこと。信頼すること。

2009年6月8日月曜日

校正日記

今日は、20、21、午後から、17、脚注を更新した。
ドキュメントの数字を目印に、手をつけるものを選ぶ。
Googleドキュメントを開き、音声を聞いて校正した英文と比較して打ち間違いを直した。イタリックは見逃していることが多く、和訳の該当箇所まで直す。
ブロガーの記事も直し、翻訳としてまとめているドキュメントの該当部分も訂正する。
そんなふうに二重三重に作業すると、メリットもあるが、面倒にもなります。
各記事につけていた出典の和訳は、タイトル下の類似箇所を流用したので、間違っており、呆然としています。ブロガーの記事はその1〜とナンバリングしていましたが、ドキュメントの方はそれでは整然とせず、01〜26とタイトルで整理できるように変更しています。

2009年6月1日月曜日

ニュー・アース

ニュー・アース
エックハルト・トール
吉田利子[訳]

A NEW EARTH: Awakening to Your Life's Purpose
一つの新しい地球:あなたの人生の目的に目覚める
Eckhart Tolle





参考になったブログ
http://d.hatena.ne.jp/doiyumifilm/20080527/1211911676

「脳にいいこと」だけをやりなさい!

「脳にいいこと」だけをやりなさい!
マーシー・シャイモフ[著]
茂木健一郎[訳]

原題:Happy for No Reason: 7 Steps to Being Happy from the Inside Out
どういうわけか幸せ:徹底的に幸せでいるための7ステップス
Marci Shimoff


2009年5月30日土曜日

フォーカシングの本

フォーカシングの本: "「何よりも嬉しく思いますのは、これまでフォーカシングがいわゆる技法として、自分がラクになる方法のようなニュアンスが強調されて広まりつつあることに疑問を感じておりましたが、この本によってジェンドリンの考え方やフォーカシングが正しい全体像として感覚的に偏らずに伝わるだろう、ということです」

大正大学教授
村瀬嘉代子"
これはすごい。是非読み直してみたい。
[Blog This!]

2009年5月29日金曜日

マクミランのオンライン英英辞典

Webサイトで無料公開中
http://www.mlh.co.jp
読売夕刊お得情報から

2009年5月28日木曜日

フォーカシング:身体は内側から語る 脚注

[*] Gendlin, E.T. (1981). A process model. Unpublished manuscript (422 pp.). Revised version published (1997) (288 pp.). New York: The Focusing Institute. This revision is also available since 1998 at http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2161.html, in a version with several typographical corrections made in 2001.
[*]ジェンドリン,E.T.(1981年).プロセスモデル.未発表原稿(420頁).出版された改訂版(1997年)(288頁).ニューヨーク:フォーカシング研究所.この改版は、 http//www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2161.htmlで、1998年から利用可能でもあります。2001年に作られたいくつかの印刷上の集積物(コレクション)を持ったひとつの版です。

*2001年に作られたコレクションから作られて1998年から利用可能というのは意味不明だ。どこを読み間違えているのか。→in以下を補足説明する形に変更。後付けにした。

プロセスモデル

プロセスモデルは現在ジェンドリンオンライン図書館では準備中です。より古い版は、ここで読むことができます。:http://www.focusing.org/process.html

A Process Model

A Process Model is currently being prepared for the Gendlin On-line Library

An older version can be read here: http://www.focusing.org/process.html


*プロセスモデルに触れているインターネット上のリソース:

日本のフォーカシング専門誌からその1

日本のフォーカシング専門誌からその2

プロセスモデルへの道案内

*プロセス指向で検索すると、情報処理業界の作業モデルも出てくる。プロセスって、過程とか処理とか、一意的ではないので、そういう意味でも味わい深い。

フォーカシングや心理療法を専門とする大学の先生が、学会に参加して英語で討論したり、原書を哲学は苦手といいながら読み進んでいると書いてあるのを読むと、狭い部屋でこつこつ辞書を片手に訳出している自分が相対化されて、恥ずかしくなったりする。井の中の蛙で、だからこそ(競争や比較にさらされない安全な場所でこそ)実感や身体に従う翻訳プロセスに従う作業ができるともいえるけれど。
--
http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html
http://www.focusing.org/gendlin/audio/gol_2235_audio.html
http://www.focusinglists.org/lecture/gendlin_trauma_2007.mp3
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Gendlin, E.T. (2007, June). Focusing: The body speaks from the inside. [Transcript of talk given at the 18th Annual International Trauma Conference, Boston, MA]. New York: The Focusing Institute.. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html

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ユージン・T・ジェンドリン(2007年,6月).フォーカシング:からだは内側から語る.[ 第18回年次国際トラウマ会議,ボストン,MA において行われた講演の記録]..ニューヨーク:フォーカ シング研究所..http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html
から.

2009年5月26日火曜日

プロセスを生きる

フォーカシングの本も読んでいるが、同時に読んでいて痛く啓発されたのがミンデル博士の本。
エッジ、プロセス、フォーカシングの世界で目にする言葉が目次を読んでもちらほらするので、クラクラ眩暈がする。
ミンデル、フォーカシング、ヒルマンの魂のコードを交互に読みながら、体がほどけていくのを感じた。

携帯端末の登録

携帯端末から投稿できるようにした。

フォーカシング:身体は内側から語る タイトル

Focusing: The Body Speaks From the Inside

Eugene T. Gendlin

Talk given at the 18th Annual International Trauma Conference PSYCHOLOGICAL TRAUMA: Neuroscience, Attachment and Therapeutic Interventions Boston, MA, June 20-23, 2007

Transcribed from the audio by Jill Drummond

フォーカシング:身体は内側から語る

ユージン・T・ジェンドリン


第18年度国際トラウマ会議 心理(学)的トラウマ[心的外傷]:神経科学、愛着と治療上の諸介入[治療的介入] 

2007年6月20~23日,ボストン,MA.

において行われた講演

オーディオからジル・ドラモンドによって書き起こされた。


Focusing:The Body Speaks From the Inside
Eugene T. Gendlin

フォーカシング:身体は内側から語る

ユージン・T・ジェンドリン

Talk given at the 18th Annual International Trauma Conference
PSYCHOLOGICAL TRAUMA: Neuroscience, Attachment and Therapeutic Interventions
Boston, MA, June 20-23, 2007

第18回年次国際トラウマ会議 心理(学)的トラウマ[心的外傷]:神経科学、愛着と治療上の諸介入[治療的介入] 

2007年6月20~23日,ボストン,MA.

において行われた講演

Transcribed from the audio by Jill Drummond
オーディオからジル・ドラモンドによって書き起こされた.

*人名の正確な発音は不明。→Yahoo!検索で「Drummond」を検索して出てくる読み仮名「ドラモンド」をあてる。

フォーカシング:身体は内側から語る タイトル

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http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html
http://www.focusing.org/gendlin/audio/gol_2235_audio.html
http://www.focusinglists.org/lecture/gendlin_trauma_2007.mp3
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Gendlin, E.T. (2007, June). Focusing: The body speaks from the inside. [Transcript of talk given at the 18th Annual International Trauma Conference, Boston, MA]. New York: The Focusing Institute.. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html

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ユージン・T・ジェンドリン(2007年,6月).フォーカシング:からだは内側から語る.[ 第18回年次国際トラウマ会議,ボストン,MA において行われた講演の記録]..ニューヨーク:フォーカ シング研究所..http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html
から.


2009年5月25日月曜日

フォーカシング:身体は内側から語る 24

And so, as you will see in the two demonstrations that I bring you, a person will say . . . in Afghanistan language, a person will say, "Oh, I'm uncomfortable. I'm angry. I think I'm furious. I'm about to go out and kill people. But I think I have a 'guest.' Oh, I think I have a 'guest.'" And instead of rushing out with the guns, which he's already gotten, he puts those down and he sits down and he says, "I think I have a 'guest.'" He[Any] goes, or she goes, to a place that, with a little focusing training, the person has learned.

そしてだから、私があなた方にもたらす二つのデモンストレーション[実地教授、実演]の中であなた方が見るように、ある人は言うでしょう…アフガニスタンの言葉で、ある人はこういうでしょう、「おー、私は不愉快です。私は怒っている。私は激しく憤っていると思う。私はまさに出て行って人を殺そうとしている。しかし、わたしは『客』を持っていると思う。おー、私は『客』を持っていると思う」。そして銃を持って駆け出すかわりに、それを彼はすでに手にしていたのですが、彼はそれらを下におき、腰を下ろし「私は‘客’を待たせていると思う」と言うのです。彼は(あるいは彼女は)、(小さなフォーカシング訓練で)人が学んだある場所へと行きます。

1. So, as you will see in the two demonstrations that I bring you, a person will say... in Afganistan language, a person will say, "Oh, I'm uncomfortable. I'm angry. I think I'm furious. I'm about to go out and kill people. But I think I have a 'guest.'

それで、私があなた方にもたらす二つのデモンストレーション[実地教授、実演]の中であなた方が見るように、ある人は言うでしょう…アフガニスタンの言葉で、ある人はこういうでしょう、「おー、私は不愉快です。私は怒っている私は激しく憤っていると思う。私はまさに出て行って人を殺そうとしている。しかし、わたしは『客』を持っていると思う。おー、私は『客』を持っていると思う」。

2. And instead of rushing out with the guns, which he's already gotten, he puts those down and he sits down and he says "I think I have a 'guest'."

そして銃を持って駆け出すかわりに、それを彼はすでに手にしていたのですが、彼はそれらを下におき、腰を下ろし「私は‘客’を待たせていると思う」と言うのです。

3. He goes, or she goes, to a place that, with a little focusing training, the person has learned.

彼は(あるいは彼女は)、(小さなフォーカシング訓練で)人が学んだある場所へと行きます。

*引用文の中に挿入が二箇所ある。,or she goes,/,with a little focusing,である。
*現在形で、主語を省略せずに話しているのが印象的。訳文には出さなかった。
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*a placeはフォーカシングで扱う内的な場所ではないか。
*ここは早くから味読していた場所。1.の部分のメモが見当たらないので訳しなおすことにする。はじめからそんなメモがなかったとも考えられるけど。
* エンクロージャリンクに音声ファイルのリンクを張ると、記事上で音声ファイルの再生ができる仕組みになっているようだ。ファイルは丸ごとなので、記事が何分何秒に始まるというガイダンスを入れると親切かもしれない。(追記:googleリーダーでフィードを取得した場合、googleリーダー上でには、埋め込みの音声再生装置が表示される。)
*一日くらい和室で作業をしてしまった。ノートパソコンの調子がおかしいため。
*アフガニスタンはどこにあるか:

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*Googleドキュメントで編集。09/05/26(火)
*09/6/05(thu)
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フォーカシング:身体は内側から語る その24

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http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html
http://www.focusing.org/gendlin/audio/gol_2235_audio.html
http://www.focusinglists.org/lecture/gendlin_trauma_2007.mp3
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Gendlin, E.T. (2007, June). Focusing: The body speaks from the inside. [Transcript of talk given at the 18th Annual International Trauma Conference, Boston, MA]. New York: The Focusing Institute.. From http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html

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ユージン・T・ジェンドリン(2007年,6月).フォーカシング:からだは内側から語る.[ 第18回年次国際トラウマ会議,ボストン,MA において行われた講演の記録]..ニューヨーク:フォーカ シング研究所..http://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2235.html
から.