The Client's Client: The Edge Of Awareness
このコメントで教わったジェンドリンの文書。
昨夜、寝る前に読み終わってしまった(汗)
Section1のみ。
※ Section2も印刷しました。6枚12面だったかな?
※ 09/12/14の時点で、読むのを中断したまま。プロセスモデルの既に印刷したものを読んだ後になるだろう。
以下、無関係な記述が続きます。
※ 「フォーカシング」の読書中に図書館で見つけた本「思想家 河合隼雄」を先に読み終えたという話です。臨床心理学者の河合隼雄先生の、思想家としての側面を、中沢新一、鷲田清一氏などの論考が浮かび上がらせていきます。それは、奇しくも、今読んでいる「ジェンドリン哲学入門 フォーカシングの根底にあるもの」と重なるように思いました。臨床心理学の中でよりも、現代思想の中で影響力を残していくように見えるユング心理学。その評価が臨床のユング心理学を支えているかのようにも見えます。(臨床をしないでものをしゃべっているという批判を目にしたときは驚いたけど)
一方で、哲学者であるジェンドリンの思想は、革新的であるがゆえに、ユングの理論が宗教学などに影響を与え発展させていったようには受け取られない。どうしてだろう?
(改行―続きを読む―を削除しました。)
新刊コーナーにおいてあった「臨床家 河合隼雄」を一息に読んだのを弾みに、ジェンドリンの「フォーカシング」も第6章まで読み進みました。ジェンドリンが、フォーカシングだけでしないでくださいと書いているので、私もフォーカシングを離れていることに罪悪感を覚える必要がない?一方で、フォーカシングはあらゆることに応用できるので、翻訳にも、読書にも、そのほかのあらゆることに、学んだことを生かすことができる。
高校生のときから読んでいた河合心理学の本なので、読書のスピードはフォーカシング関係の文書を読むときとは比較にならないようです。しかし、河合隼雄のカウンセリング論を読むときに、フォーカシングの(あるいはロジャースの)アプローチを重ね合わせて読んでいる自分に気づきます。高校生のとき、こんなカウンセリングを受けてみたいと思っていた自分ですが、いまは「フォーカシング」を読みながら、こんなセッションを受けてみたいと思っています。
そういう(本を読んであれこれと考えている)自分は、変わっていないなぁと思います。本で読んだとおりのことが体験できるかどうかは別なんだよなぁと感じています。
「思想家 河合隼雄」
読んだ順序
[序論] 河合隼雄は思想家である・・・・・・中沢新一×河合俊雄
[論考]
河合隼雄と言葉・・・・・・養老孟司(聞き手・河合俊雄)
中空と鬼っ子・・・・・・河合俊雄
あいまいの記憶・・・・・・中沢新一
落としどころについて―河合隼雄における《臨床》と《対話》・・・・・・鷲田清一
昔話と夜、または数をめぐる冒険・・・・・・赤坂憲雄
と、ここにきて、後半の数をめぐる難しい冒険で挫折しました(爆)
[記録]を読み落としていることに気づきました。
※「挫折した数をめぐる冒険」、「アッシジの聖フランチェスコと日本の明恵」というタイトルの(2004年バルセロナ第16回国際分析心理学大会講演録である)[記録]を読み、その勢いで[資料編]用語解説まで読みました(2009・11・20)。「夢を見ている場合じゃない」いまこそ、夢の導き、その創造力、次なるステップを導き出す力を活かすときだと感じさせられました。
難しく感じられた数の冒険も、若手?の書いた用語解説も面白かったなぁ。
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