2009年12月14日月曜日

「ジェンドリン哲学入門」2

第7章でイサドラ・ダンカンの自伝が出てきた(325, 327, 330, 333∼336, 343以降も)。邦訳はおろか原著の掲載もなく、ジェンドリンが引用していたというだけ。この本は、日本で精神世界の翻訳で有名な山川紘矢・亜希子夫妻が(そういえば奥さんが主体になって)訳しているものではないだろうか。



翻訳出版記念パーティ?の二人のスピーチも動画で見たことがある。図書館で偶然見つけた本を、のめりこむようにして読んだ記憶がよみがえってきた。この章を担当された村里先生は、前半の章でカスタネダに言及する(70ページ、注も)など、痒いところに手が届く。本当にツボを突いてくる。

夜中、ホットミルクを飲みながらカントの哲学書を読んでいたというダンカン。今でも、その自伝からわたしはインスパイアされています。



※その後、第8章も読了(09・12・15)。ミンデルにも言及される(ジェンドリンにミンデルという人を知っているかと問いかける話。)など、本当に痒いところに手が届き、本当に感激しました。

※その後、読了。わたしがこの本で時間があればしたかったのは、書き抜きノート、単語ノートの作成などです。複数の人が書いていますが、フェルトセンスと対話しながら、自分の感性どう響きあうかを感じ、味わいながら読むことができた。臨床家は個性が強く、簡単にお互いに解け合ったりしない(とくにその主張の根幹にかかわることについて)ところがあるし、同じ単語の(微妙な)表記の仕方の違い(たとえばimplyingの訳語の表記の本当に微妙な揺らぎ)は、対論を重ねた上でのそれぞれのギリギリの表現の仕方なのだと感じる。(もちろん本人に確認しなければわからないことでもあるけれど。)

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